墨子 / 經下
不堅白,説在……。荆之大,其沈淺也,説在具。無久與宇。堅白,説在因。以檻為博於以為無知也,説在意。在諸其所然未者然,説在於是推之。意未可知,説在可用過仵。景不従説在改為。一少於二,而多於五,説在建住景二,説在重。非半弗則不動,説在端。景到在午有端與景長,説在端。可無也,有之而不可去,説在嘗然。景迎曰説在博缶而不可擔,説在博景之小,大説在地缶逺近。宇進無近,説在敷。天而必缶説在得行循以久,説在先後。貞
新字:不堅白,説在……。荆之大,其沈浅也,説在具。無久与宇。堅白,説在因。以檻為博於以為無知也,説在意。在諸其所然未者然,説在於是推之。意未可知,説在可用過仵。景不従説在改為。一少於二,而多於五,説在建住景二,説在重。非半弗則不動,説在端。景到在午有端与景長,説在端。可無也,有之而不可去,説在嘗然。景迎曰説在博缶而不可担,説在博景之小,大説在地缶遠近。宇進無近,説在敷。天而必缶説在得行循以久,説在先後。貞
書き下し
堅白ならざるは、説は……に在り。荆の大なるも、其の沈むこと淺きは、説は具に在り。久と宇と無し。堅白は、説は因に在り。檻を以て博しと為すは、以て知る無しと為すに於いてなり。説は意に在り。諸の其の然る所に在りて未だ然らざる者は、説は是に於いて之を推すに在り。意は未だ知る可からず、説は用う可きと過仵とに在り。景は従わず、説は改め為すに在り。一は二より少なくして、五より多し。説は建住に在り。景、二なるは、説は重に在り。半に非ざれば則ち動かざるは、説は端に在り。景の到まなるは午に在り、端有りて景長し。説は端に在り。無かる可きも、之を有して去る可からざるは、説は嘗て然るに在り。景の迎うるを曰う、説は博に在り。缶して擔う可からざるは、説は博に在り。景の小大は、説は地の逺近に在り。宇に進むも近づく無きは、説は敷に在り。天にして必ず缶し、説は得に在り。行くに循いて以て久し、説は先後に在り。
現代語訳
堅と白が分かれないことは、その説明が……にある。楚は大きいが、その沈むところは浅い。その説明は「具」にある。久と宇がない。堅白は、その説明が「因」にある。檻を広いとするのは、知るところがないとすることによる。その説明は「意」にある。すべてそうであるところにありながらまだそうでないものは、その説明がここから推し及ぼすことにある。意はまだ知ることができない。その説明は用いうることと食い違いにある。像は従わない。その説明は作り変えることにある。一は二より少なく、五より多い。その説明は「建住」にある。像が二つになるのは、その説明が「重」にある。半分でなければ動かないのは、その説明が「端」にある。像が逆さになるのは交点においてであり、端があって像は長い。その説明は「端」にある。無くてもよいのに、有ってしまえば去ることができないのは、その説明がかつてそうであったことにある。像が迎えることを言う。その説明は「博」にある。正しくても担うことができないのは、その説明が「博」にある。像の大小は、その説明が地との遠近にある。宇を進んでも近づかないのは、その説明が「敷」にある。天であって必ず正しい。その説明は「得」にある。行くに従って久しい。その説明は先後にある。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』大取諸そ聖人の先んずる所は、人の為なり。名を欲す、實の名なり。實は必ずしも名あらず。茍くも是の石や白ければ、是の石を敗るも、盡く白と同じ。是の石や唯だ大なるも、大と同じからず。是れ便ち焉れを謂う有るなり。形貌を以て命ずる者は、必ず是の謀を智るなり、焉んぞ某を智らんや。形貌を以て命ず可からざる者は、唯だ是の某を智らざるも、某を智るは可なり。諸そ居運を以て命ずる者は、茍くも其の中に人あれば、皆な是なり。之を去れば、因りて非なり。諸そ居運を以て命ずる者は、鄉里・齊荆の若き者は、皆な是なり。諸そ形貌を以て命ずる者は、山丘・室廟の若き者は、皆な是なり。智と意とは異なる。重同、具同、連同、同類の同、同名の同、丘同、鮒同、是の同、然の同、同根の同。非の異有り、不然の異有り。其の異有るや、其の同を為すなり。其の同を為すや異なり。
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