墨子 / 非儒下
孔丘與其門弟子閒坐,曰:「夫舜見瞽叟然,就此時天下岌乎!周公旦非其人也邪?何為亦舍家室而託寓也?」孔丘所行,心術所至也。其徒屬弟子皆效孔丘,子貢、季路輔孔悝乎衛,陽虎亂乎齊,佛肸以中牟叛,求雕刑殘,莫大焉。夫為弟子,後生其師,必脩其言,法其行,力不足、知弗及而後已。今孔丘之行如此,儒士則可以疑矣。
新字:孔丘与其門弟子閒坐,曰:「夫舜見瞽叟然,就此時天下岌乎!周公旦非其人也邪?何為亦舎家室而託寓也?」孔丘所行,心術所至也。其徒属弟子皆効孔丘,子貢、季路輔孔悝乎衛,陽虎乱乎斉,仏肸以中牟叛,求雕刑残,莫大焉。夫為弟子,後生其師,必脩其言,法其行,力不足、知弗及而後已。今孔丘之行如此,儒士則可以疑矣。
書き下し
孔丘、其の門弟子と閒坐して曰く、「夫れ舜、瞽叟を見て然り。此の時に就いて天下岌たり。周公旦は其の人に非ざるか。何為れぞ亦た家室を舍てて託寓せしや」と。孔丘の行う所は、心術の至る所なり。其の徒屬弟子、皆な孔丘に效う。子貢・季路は孔悝を衛に輔け、陽虎は齊に亂し、佛肸は中牟を以て叛き、求は雕刑殘たり。焉より大なるは莫し。夫れ弟子と為れば、其の師に後生し、必ず其の言を脩め、其の行いを法とし、力足らず、知及ばずして而る後に已む。今、孔丘の行い此くの如くんば、儒士は則ち以て疑う可し。
現代語訳
孔丘が門弟たちと座って言った。「舜が瞽叟に会ったときはああであった。あのとき天下は危うかった。周公旦はその人ではなかったのか。どうして家を捨てて仮住まいなどしたのか」。孔丘の行いは、その心の向かうところの現れである。その弟子たちはみな孔丘に倣った。子貢と季路は衛で孔悝を助け、陽虎は斉で乱を起こし、佛肸は中牟によって叛き、求は刑を受けて損なわれた。これより大きなものはない。そもそも弟子となれば、師のあとに生まれ、必ずその言葉を修め、その行いを手本とし、力が足りず知恵が及ばなくなってはじめてやめる。いま孔丘の行いがこのようであるなら、儒者たちもまた疑ってよい。
解説
非儒下の結びです。論法は師から弟子への波及で、弟子の行いを並べて師に返します。「必脩其言、法其行」——弟子は師の言葉を修め、その行いを手本とする。だから上に立つ者の行いは、本人一代では終わらない。挙げられた弟子の事例には無理のあるものも含まれますが、影響が下に伝わるという一点は、教える立場の誰にも当てはまります。
この章句が説くこと
波及師弟手本影響批判
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