墨子 / 非儒下
又曰:「君子循而不作。」應之曰:古者羿作弓,伃作甲,奚仲作車,巧垂作舟。然則今之鮑、函、車、匠皆君子也,而羿、伃、奚仲、巧垂皆小人邪?且其所循,人必或作之,然則其所循皆小人道也。
新字:又曰:「君子循而不作。」応之曰:古者羿作弓,伃作甲,奚仲作車,巧垂作舟。然則今之鮑、函、車、匠皆君子也,而羿、伃、奚仲、巧垂皆小人邪?且其所循,人必或作之,然則其所循皆小人道也。
書き下し
又た曰く、「君子は循いて作らず」と。之に應じて曰く、古者、羿は弓を作り、伃は甲を作り、奚仲は車を作り、巧垂は舟を作る。然らば則ち今の鮑・函・車・匠は皆な君子にして、羿・伃・奚仲・巧垂は皆な小人なるか。且つ其の循う所は、人、必ず或いは之を作る。然らば則ち其の循う所は皆な小人の道なり。
現代語訳
またこうも言う。「君子は受け継ぐだけで作らない」。これに答えて言う。むかし羿は弓を作り、伃は甲を作り、奚仲は車を作り、巧垂は舟を作った。とすれば、いまの革職人や鎧職人や車大工や木工はみな君子で、羿や伃や奚仲や巧垂はみな小人だということか。そもそも受け継いでいるものは、必ず誰かが作ったのだ。とすれば受け継いでいるものはみな小人の道ということになる。
解説
『論語』の「述べて作らず」に正面から当てた反論です。受け継ぐことを尊び作ることを卑しむなら、いま受け継いでいるもの一切を作った人たちはどうなるのか。四人の発明者の名を並べることで、抽象論を具体で押し返しています。前例踏襲を美徳とする空気に対する反論として、これ以上に短く効くものは少ない。いま受け継いでいるものは、すべてかつて誰かが作ったものです。
この章句が説くこと
発明踏襲前例創始反論
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『墨子』非儒下又た曰く、「君子は勝ちて奔るを逐わず、函を揜いて射ず、施けば則ち之を助けて車を胥く」と。之に應じて曰く、若し皆な仁人ならば、則ち説くこと無くして相い與せん。仁人は則ち其の取舍是非の理を相い告げ、故無き者は故有るに従い、知らざる者は知有るに従い、辭無ければ必ず服し、善を見れば必ず遷る。何の故にか相い若かん。兩暴、交ごも争いて、其の勝つ者、奔るを逐わず、函を揜いて射ず、施けば則ち之を助けて車を胥くを欲せば、能を盡くすと雖も猶お且つ君子と為るを得ざるなり。意うに暴殘の國なり。聖人、将に世の為に害を除かんとし、師を興して誅罰し、勝ちて将に儒術を用い士卒に令して曰わんとす、「奔るを逐うこと母かれ、函を揜いて射ること勿かれ、施けば則ち之を助けて車を胥け」と。暴亂の人、治を得て天下の害、除かれず。是れ羣もて父母を殘い、而して深く世を賤しむと為すなり。不義、焉より大なるは莫し。
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『墨子』非儒下夫れ一に道術學業とは、仁義なり。昔、大にしては以て人を治め、小にしては以て官に任じ、逺くしては施し、用いては偏く、近くしては以て身を循む。不義には處らず、非理には行わず。務めて天下の利を興し、曲直周旋、利あれば則ち止まる。此れ君子の道なり。聞く所の孔丘の行いを以てすれば、則ち本より此と相い反謬するなり。
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