墨子 / 非命下
《仲虺之誥曰:「我聞有夏人矯天命于下,帝式是増,用爽厥師。」彼用無為有,故謂矯。若有而謂有,夫豈謂矯哉?昔者桀執有命而行,湯為《仲虺之誥以非之。《太誓》之言也,於《去發》曰:「惡乎君子,天有顯徳,其行甚章。為鑑不逺,在彼殷王。謂人有命,謂敬不可行,謂祭無益,謂暴無傷。上帝不常,九有以亡;上帝不順,祝降其䘮。惟我有周,受之大帝。」昔者紂執有命而行,武王為《太誓》《去發》以非之。曰:子胡不尚考之乎商周虞夏之記,従《十簡》之篇以尚皆無之将何若者也?
新字:《仲虺之誥曰:「我聞有夏人矯天命于下,帝式是増,用爽厥師。」彼用無為有,故謂矯。若有而謂有,夫豈謂矯哉?昔者桀執有命而行,湯為《仲虺之誥以非之。《太誓》之言也,於《去発》曰:「悪乎君子,天有顕徳,其行甚章。為鑑不遠,在彼殷王。謂人有命,謂敬不可行,謂祭無益,謂暴無傷。上帝不常,九有以亡;上帝不順,祝降其喪。惟我有周,受之大帝。」昔者紂執有命而行,武王為《太誓》《去発》以非之。曰:子胡不尚考之乎商周虞夏之記,従《十簡》之篇以尚皆無之将何若者也?
書き下し
『仲虺之誥』に曰く、「我れ聞く、有夏の人、天命を下に矯む。帝、式て是れを増し、用て厥の師を爽う」と。彼れ無きを用て有りと為す。故に矯と謂う。若し有りて有りと謂わば、夫れ豈に矯と謂わんや。昔者、桀、有命を執りて行う。湯、『仲虺之誥』を為りて以て之を非とす。『太誓』の言なり。『去發』に曰く、「惡や君子、天に顯徳有り、其の行い甚だ章らかなり。鑑を為すこと逺からず、彼の殷王に在り。人に命有りと謂い、敬は行う可からずと謂い、祭は益無しと謂い、暴は傷むこと無しと謂う。上帝、常とせず、九有、以て亡ぶ。上帝、順わず、祝いて其の䘮を降す。惟れ我が有周、之を大帝より受く」と。昔者、紂、有命を執りて行う。武王、『太誓』『去發』を為りて以て之を非とす。曰く、子、胡ぞ尚に之を商・周・虞・夏の記に考え、『十簡』の篇に従いて、以て尚に皆な之れ無きは将に何の若き者ならんとするを。
現代語訳
『仲虺之誥』にいう。「私は聞いた、夏の人が天命を下に曲げて広めた。天帝はこれを憎み、その軍を打ち砕いた」。彼らは無いものを有ると言った。だから「矯」——曲げると言う。もし本当に有るものを有ると言ったのなら、どうして曲げると言えようか。むかし桀は運命論を掲げて行った。湯は『仲虺之誥』を作ってこれを否とした。『太誓』の言葉である。『去発』にいう。「ああ君子よ、天には明らかな徳があり、その働きははなはだ明白だ。鑑とすべきものは遠くにない、あの殷の王にある。人には運命があると言い、慎みは行うに値しないと言い、祭りは益がないと言い、乱暴でも害はないと言った。上帝はそれを常とせず、九つの州は滅びた。上帝は順わず、その喪を降した。わが周はこれを大帝より受けた」。むかし紂は運命論を掲げて行った。武王は『太誓』『去発』を作ってこれを否とした。あなたはなぜ商・周・虞・夏の記録に照らし、『十簡』の篇に従って、そのどこにも運命論が無いことを確かめないのか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』智命を知るとは、天命を知るなり。天の命ずる所何如を知るを謂ふなり。先王の道は、天に本づき、天命を奉じて以て之を行ふ。君子の道を学ぶも、亦た以て天職を奉ぜんと欲するのみ。我道を学び徳を成して爵至らず、是れ天我に命じて以て道を人に伝へしむるなり。君子は教学を以て事と為し、人知らずして慍らず、是れ之を命を知ると謂ふ。凡そ人の力は、及ぶ有り、及ばざる有り。強ひて其の力の及ばざる所の者を求むるは、不智の大なる者なり。故に曰く、「命を知らざれば、以て君子為ること無きなり」と。後儒或いは其の然る所以の理を知ると曰ひ、或いは吉凶禍福を知ると曰ひ、或いは名利得失に毫も心を動かさずと曰ふ。皆道を知らざる者の言のみ。
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『翁問答』上卷之末かの病人悪寒発熱の病勢おとろへ本服しぬれば、常の人の如くに暑き寒さをおぼゆるものなり、その如く運命のいきをひおとろへて其分数極まりぬれば、必らず悪人は六極のがれ難く、善人は五福をうくるものなり、しかるゆへに盗跖は無病息災に難なくながいきして暮しぬる様なれども、おのれと六極の剛悪におちいりて、至誠無息の神理をうしなひ、万世不朽の悪名をながしぬれば、六極の報応さだかならずやまた顔子は箪瓢陋巷不幸短命なれども、五福の攸好徳をうけ、真楽の介福めでたく長在不滅の神理あきらかにして、万世きはまりなく、公爵の追贈四配の祭祀をうけ給ひぬれば、五福の嚮命あきらかならずや運命のいきおひによつて一旦見かけは福善禍淫の常にたがふやうなれども、畢竟しんじつの端的終には天命本然の常にたちかへるものなり、
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、其の一家一門の議は、皆々法を知らざるゆへなり。道有りて聚むる金銀は天命なり。天の賜ふ財を舎てず、天の命にそむかず、約を以て礼の本を守れり。又道を行ふ者は、他のそしりは、有るならひなり。孟子曰く、傷むこと無し、士は茲の多口に憎まる。詩に云ふ、憂心悄悄たり、群小に慍まると。孔子なりと。聖人の行ひは、小人の行ひに違へる故、衆の口の為に、孔子も譏りに逢ひ玉へり。又美食を好まざるは、身の分限なり。二汁五菜七菜などと云ふ重き料理は、下々のことにあらず。御上より品を分けて見ば、汝の親方の料理は、今少し奢にても有るべし。それを一門衆は、箸を取り初むる計りとは、分を知らざる奢る者なり。先づ飢饉年には、飯米の調へ代を借り、汝の親方の恵みにより飢ゑに及ばず、それを忘れ、身の分を知らず、
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尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
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『初学訓』巻之三一人力を以て天命を得る道あり。士は、君に仕へてよく勤むれば、君の寵を得て、禄あつし。農は、田をつとめてよく作れば、秋のなりはひ多し。工商は、其家業をよくつとむれば富む。およそ、四民ともに、よくつとむれば家富む。古語にも、人生はつとめにあり、つとむれば乏しからず、といへり。又倹約を行ひて、濫りに財を費さざれば、よく家をたもちて貧しからず。又養生をよくつつしめば、命ながし。是皆、人力を以て天命を得る理あり。
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『大和俗訓』巻之四・心術下一天命は天のくだす所、人のうくる所なり。命は猶令のごとしとて、下知の意なり。天よりくだる故に天命といふ。天命に常あり変あり。善を行へば福あり、悪をすれば禍あるは常なり。善人に禍あり。悪人に福あるは変なり。人の吉凶、禍福、寿夭、富貴貧賤、万の幸不幸、皆天の命ずる所なり。人間の万事、天命にあらざる事なし。或は生れつきて定まり、或は時により不慮に命くだりて、偶然として福にあひ、わざはひにあふ。求めても命なければ得がたく、求めざれども命あれば得やすし。唯人の法を行ひて、天命をまつべし。善を行ひて福来るは常の理なれども、もし禍あるは、是また天命の変なれば、うれふべからず。およそ人天命を知りて、命にまかせ、うれひなき工夫をなすべし。天命を知らざれば、命のさだまりありて、福の求めがたく、禍の去りがたき事を知らず。利につき、害をさけんとし、人にへつらひ、神にへつらふは見ぐるし。愚なりといふべし。故に論語に、命を知らざれば以て君子たること無きなりといへり。

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