墨子 / 非命中
今天下之士君子,或以命為亡。我所以知命之有與亡者,以衆人耳目之情知有與亡。有聞之,有見之,謂之有;莫之聞,莫之見,謂之亡。然胡嘗考之百姓之情?自古以及今,生民以來者,亦嘗見命之物、聞命之聲者乎?則未嘗有也。若以百姓為愚不肖,耳目之情不足因而為法。然則胡不嘗考之諸侯之傳言流語乎?自古以及今,生民以來者,亦嘗有聞命之聲、見命之體者乎?則未嘗有也。
新字:今天下之士君子,或以命為亡。我所以知命之有与亡者,以衆人耳目之情知有与亡。有聞之,有見之,謂之有;莫之聞,莫之見,謂之亡。然胡嘗考之百姓之情?自古以及今,生民以来者,亦嘗見命之物、聞命之声者乎?則未嘗有也。若以百姓為愚不肖,耳目之情不足因而為法。然則胡不嘗考之諸侯之伝言流語乎?自古以及今,生民以来者,亦嘗有聞命之声、見命之体者乎?則未嘗有也。
書き下し
今、天下の士君子、或いは命を以て亡しと為す。我が命の有と亡とを知る所以の者は、衆人の耳目の情を以て有と亡とを知る。之を聞くこと有り、之を見ること有るを、之を有と謂い、之を聞くこと莫く、之を見ること莫きを、之を亡と謂う。然らば胡ぞ嘗て之を百姓の情に考えざる。古より以て今に及び、生民より以來、亦た嘗て命の物を見、命の聲を聞く者有らんや。則ち未だ嘗て有らざるなり。若し百姓を以て愚不肖にして、耳目の情、因りて法と為すに足らずと為さば、然らば則ち胡ぞ嘗て之を諸侯の傳言流語に考えざる。古より以て今に及び、生民より以來、亦た嘗て命の聲を聞き、命の體を見る者有らんや。則ち未だ嘗て有らざるなり。
現代語訳
いま天下の士君子には、運命は無いと考える者もいる。私が運命の有る無しを知る方法は、多くの人の目と耳が捉えたものによって有る無しを知るというものだ。聞いた者があり、見た者があればそれを「有る」といい、聞いた者もなく見た者もなければ「無い」という。ならばなぜ民衆の実感に照らしてみないのか。昔から今まで、人が生まれて以来、運命という物を見た者、運命という声を聞いた者がいただろうか。一人もいない。もし民衆は愚かで、その目と耳は基準にするに足りないというなら、なぜ諸侯の間に伝わる話に照らしてみないのか。昔から今まで、人が生まれて以来、運命の声を聞き、運命の姿を見た者がいただろうか。一人もいない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
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『墨子』尚賢下子墨子言いて曰く、「天下の王公大人は皆な其の國家の富み、人民の衆く、刑法の治まるを欲す。然れども尚賢を以て政を為して其の國家百姓を治むるを識らず。王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失えるなり。若し茍くも王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失わば、則ち物を舉げて之に示す毋くんばある能わざらんや。今、若し一諸侯、此に有りて、國家に政を為すや、曰く、『凡そ我が國の能く射御する士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。射御する能わざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず能く射御する士は喜び、射御する能わざる士は懼れんと為す。我れ賞して因りて之を誘わん、曰く、『凡そ我が國の忠信の士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。忠信ならざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。」
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『墨子』法儀子墨子曰く、天下の事を從むる者は、以て法儀無かる可からず。法儀無くして其の事能く成る者は、有ること無し。士の將相為る者に至ると雖も皆な法有り、百工の事を從むる者に至ると雖も亦た皆な法有り。百工は方を為すに矩を以てし、圜を為すに規を以てし、直きは繩を以てし、正しきは懸を以てす。巧工も不巧工も無く、皆な此の四者を以て法と為す。巧なる者は能く之に中り、不巧なる者は中つる能わずと雖も、放依して以て事を從めば、猶お已に逾えたり。故に百工の事を從むるや、皆な法度有り。今、大なる者は天下を治め、其の次は大國を治むるに、而も法度無し。此れ百工の辯なるに若かざるなり。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
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『墨子』尚賢上是の故に古者、聖王の政を為すや言いて曰く、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と。是を以て國の富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を舉ぐるに貧賤を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。親しき者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は親なり。今、上、義を舉ぐるに親疎を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。近き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は近なり。今、上、義を舉ぐるに近を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我れ逺きを以て恃む無しと為す。今、上、義を舉ぐるに逺きを辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺鄙郊外の臣、門庭の庶子、國中の衆、四鄙の氓人に逮び至るまで、之を聞きて皆な競いて義を為す。
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『墨子』尚同上子墨子言いて曰く、古者、民、始めて生じて未だ刑政有らざる時、盖し其の語、人ごとに義を異にす。是を以て一人なれば則ち一義、二人なれば則ち二義、十人なれば則ち十義。其の人、滋いよ衆ければ、其の義と謂う所の者も亦た滋いよ衆し。是を以て人は其の義を是として、以て人の義を非とす。故に交ごも相い非とし是とするなり。内なる者は父子兄弟、怨惡を作し、離散して相い和合する能わず。天下の百姓、皆な水火毒藥を以て相い虧害し、餘力有るに至るも以て相い勞う能わず。餘財を府列するも以て相い分かたず、良道を隠匿するも以て相い教えず。天下の亂るること、禽獸の若く然り。