墨子 / 非命上
然而今天下之士君子,或以命為有。益嘗尚觀於先王之書,先王之書,所出國家,布施百姓憲也。先王之憲,亦嘗有曰「福不可請,而禍不可諱,敬無益,暴無傷」者乎?所以聴獄制罪者,刑也。先王之刑亦嘗有曰「福不可請,禍不可諱,敬無益,暴無傷」者乎?所以整設師旅,進退師徒者,誓也。先王之誓亦嘗有曰:「福不可請,禍不可諱,敬無益,暴無傷」者乎?」是故子墨子言曰:「吾當未監數,天下之良書不可盡計數,大方論數,而五者是也。今雖毋求執有命者之言,不必得,不亦可錯乎?今用執有命者之言,是覆天下之義,覆天下之義者,是立命者也,百姓之誶也。説百姓之誶者,是滅天下之人也」。
新字:然而今天下之士君子,或以命為有。益嘗尚観於先王之書,先王之書,所出国家,布施百姓憲也。先王之憲,亦嘗有曰「福不可請,而禍不可諱,敬無益,暴無傷」者乎?所以聴獄制罪者,刑也。先王之刑亦嘗有曰「福不可請,禍不可諱,敬無益,暴無傷」者乎?所以整設師旅,進退師徒者,誓也。先王之誓亦嘗有曰:「福不可請,禍不可諱,敬無益,暴無傷」者乎?」是故子墨子言曰:「吾当未監数,天下之良書不可尽計数,大方論数,而五者是也。今雖毋求執有命者之言,不必得,不亦可錯乎?今用執有命者之言,是覆天下之義,覆天下之義者,是立命者也,百姓之誶也。説百姓之誶者,是滅天下之人也」。
書き下し
然り而して今、天下の士君子、或いは命を以て有りと為す。益た嘗て尚に先王の書を觀ん。先王の書、國家より出だし、百姓に布施するは憲なり。先王の憲に、亦た嘗て「福は請う可からず、而して禍は諱む可からず、敬するも益無く、暴なるも傷むこと無し」と曰う者有らんや。獄を聴き罪を制する所以の者は刑なり。先王の刑にも亦た嘗て「福は請う可からず、禍は諱む可からず、敬するも益無く、暴なるも傷むこと無し」と曰う者有らんや。師旅を整設し、師徒を進退する所以の者は誓なり。先王の誓にも亦た嘗て「福は請う可からず、禍は諱む可からず、敬するも益無く、暴なるも傷むこと無し」と曰う者有らんや。是の故に子墨子言いて曰く、「吾れ當に未だ監數せずと雖も、天下の良書は盡く計數す可からず、大方に數を論ずれば、五者、是れなり。今、有命を執る者の言を求むること毋しと雖も、必ずしも得ず、亦た錯く可からずや。今、有命を執る者の言を用うるは、是れ天下の義を覆すなり。天下の義を覆す者は、是れ命を立つる者なり、百姓の誶なり。百姓の誶を説ぶ者は、是れ天下の人を滅ぼす者なり」と。
現代語訳
しかしいま天下の士君子には、運命はあると考える者がいる。ためしに先王の書を見てみよう。国家から出して民に広く示すのが「憲」である。先王の憲に「福は求めても得られず、禍は避けようがなく、慎んでも益はなく、乱暴でも害はない」と書いてあっただろうか。訴えを聞き罪を定めるのが「刑」である。先王の刑にそう書いてあっただろうか。軍を整え進退させるのが「誓」である。先王の誓にそう書いてあっただろうか。だから墨子が言った。「私はまだ調べ尽くしてはいないし、天下の良書は数えきれないが、大まかに数えればこの五種である。いま運命はあると主張する言葉を探しても見つからない。ならば捨て置いてよいのではないか。いまその言葉を用いるのは、天下の義をひっくり返すことだ。天下の義をひっくり返す者は運命を立てる者であり、民をそしる言葉である。民をそしる言葉を喜ぶ者は、天下の人を滅ぼす者である」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』非命中先王の書『仲虺之誥』に曰く、「我れ聞く、有夏の人、天命を矯め、命を下に布く。帝、式て是れを惡み、厥の師を用う」と。此れ夏王桀の有命を執るを語るなり。湯と仲虺、共に之を非とす。先王の書『太誓』の言、然り。曰く、「紂、夷して之れ居り、而して上帝に事うるを肯んぜず、厥の先神を棄てて祀らざるなり。曰く『我が民に命有り、其の務めを僇すこと毋かれ』と。天も亦た棄て縦ちて葆せず」と。此れ紂の有命を執るを言うなり。武王、『太誓』を以て之を非とす。『三代』『不國』に之れ有り。曰く、「女、天の命有るを崇ぶこと毋かれ」と。『三』『不國』も亦た命の無きを言うなり。召公の『執令』に於いても然り。且つ、「敬しめや。天命無し。惟れ予二人にして、造言する無かれ。天より之を降すに自らず、哉に之を得たり」と。夏商の詩書に在りて曰く、「命なる者は、暴王、之を作す」と。且つ今、天下の士君子、将に是非利害の故を辯ぜんと欲せば、天命有りと當う者は、疾く非とせざる可からざるなり。有命を執る者、此れ天下の厚害なり。是の故に子墨子、之を非とするなり。
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『墨子』非命上仲虺之誥に曰く、「我れ夏人に聞く、天命を矯めて命を下に布く。帝、式て是れを惡み、用て厥の師を爽う」と。此れ湯の桀の有命を執るを非とする所以を言うなり。太誓に曰く、「紂、夷して處り、上帝鬼神に事うるを肯んぜず、厥の先の神祇を禍いして祀らず、乃ち曰く『吾が民に命有り、廖まし排屚すること無し』と。天も亦た之を縦ちて棄てて葆せず」と。此れ武王の紂の有命を執るを非とする所以を言うなり。今、有命を執る者の言を用うれば、則ち上は聴治せず、下は従事せず。上、聴治せざれば則ち刑政亂れ、下、従事せざれば則ち財用足らず。上は以て粢盛酒醴を共え、上帝鬼神を祭祀し、天下の賢可の士を降綏する無く、外は以て諸侯の賔客に應待する無く、内は以て饑えたるに食わせ寒きに衣せ、老弱を将養する無し。故に命は、上は天に利あらず、中は鬼に利あらず、下は人に利あらず。而も强いて此を執る者は、此れ凶言の自ら生ずる所を持し、而して暴人の道なり。
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『墨子』非命中今、天下の士君子、或いは命を以て亡しと為す。我が命の有と亡とを知る所以の者は、衆人の耳目の情を以て有と亡とを知る。之を聞くこと有り、之を見ること有るを、之を有と謂い、之を聞くこと莫く、之を見ること莫きを、之を亡と謂う。然らば胡ぞ嘗て之を百姓の情に考えざる。古より以て今に及び、生民より以來、亦た嘗て命の物を見、命の聲を聞く者有らんや。則ち未だ嘗て有らざるなり。若し百姓を以て愚不肖にして、耳目の情、因りて法と為すに足らずと為さば、然らば則ち胡ぞ嘗て之を諸侯の傳言流語に考えざる。古より以て今に及び、生民より以來、亦た嘗て命の聲を聞き、命の體を見る者有らんや。則ち未だ嘗て有らざるなり。
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『墨子』非命中今、夫れ有命者、言いて曰く、「我れ之を後世に作すに非ざるなり。昔三代より若き言有りて以て傳流せり」と。今、故に先王、之に對せんか。曰く、夫れ有命者は、昔の三代の聖善の人を志さざるか。意うに亡くば昔の三代の暴不肖の人か。何を以て之を知る。初めの列士・卿大夫は、言を慎み行を知り、此れ上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は其の君長の賞を得、下は其の百姓の譽を得。列士・卿大夫の聲聞、廢れず、傳流して今に至る。而して天下、皆な其の力なりと曰う。一
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『墨子』非命上子墨子言いて曰く、「古者、王公大人、國家に政を為す者は、皆な國家の富み、人民の衆く、刑政の治まるを欲す。然り而して富を得ずして貧を得、衆を得ずして寡を得、治を得ずして亂を得るは、則ち是れ本より其の欲する所を失いて、其の惡む所を得るなり。是れ故に何ぞや」と。子墨子言いて曰く、「有命を執る者の民間に雜わる者衆し。有命を執る者の言に曰く、『命に富めば則ち富み、命に貧しければ則ち貧しく、命に衆ければ則ち衆く、命に寡なければ則ち寡なく、命に治まれば則ち治まり、命に亂るれば則ち亂れ、命に夀ければ則ち夀く、命に夭ければ則ち夭す。命は、……强勁なりと雖も何の益あらんや』と。上は以て王公大人に説き、下は以て百姓の従事を沮む。故に有命を執る者は不仁なり。故に有命を執る者の言に當りては、眀辯せざる可からず」と。
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『墨子』非命下是の故に子墨子言いて曰く、今、天下の士君子、中に實に将に天下の利を興し、天下の害を除かんことを求め欲せば、有命者の言に當るや、曰く、命なる者は、暴王の作す所、窮人の術ぶる所にして、仁者の言に非ざるなり。今の仁義を為す者、将に察して强いて之を非とせざる可からざる者は此れなり。