墨子 / 非樂上
是故子墨子之所以非樂者,非以大鍾、鳴鼓、琴瑟、竽笙之聲以為不樂也,非以刻鏤華文章之色以為不美也,非以犓豢、煎炙之味以為不甘也,非以髙臺、厚榭、䆳野之居以為不安也。雖身知其安也,口知其甘也,目知其美也,耳知其樂也,然上度之不中聖人之事,下度之不中萬民之利。是故子墨子曰:為樂非也。
新字:是故子墨子之所以非楽者,非以大鍾、鳴鼓、琴瑟、竽笙之声以為不楽也,非以刻鏤華文章之色以為不美也,非以犓豢、煎炙之味以為不甘也,非以高台、厚榭、䆳野之居以為不安也。雖身知其安也,口知其甘也,目知其美也,耳知其楽也,然上度之不中聖人之事,下度之不中万民之利。是故子墨子曰:為楽非也。
書き下し
是の故に子墨子の樂を非とする所以の者は、大鍾・鳴鼓・琴瑟・竽笙の聲を以て樂しからずと為すに非ざるなり。刻鏤華文章の色を以て美ならずと為すに非ざるなり。犓豢・煎炙の味を以て甘からずと為すに非ざるなり。髙臺・厚榭・䆳野の居を以て安からずと為すに非ざるなり。身、其の安きを知り、口、其の甘きを知り、目、其の美を知り、耳、其の樂しきを知ると雖も、然れども上、之を度るに聖人の事に中らず、下、之を度るに萬民の利に中らず。是の故に子墨子曰く、樂を為すは非なり、と。
現代語訳
だから墨子が音楽を否とする理由は、大きな鐘、響く太鼓、琴や瑟、笙や竽の音を楽しくないと考えるからではない。彫刻や華やかな文様の色を美しくないと考えるからではない。家畜の肉や焼き物の味を甘くないと考えるからではない。高い台や厚い屋根や奥深い住まいを心地よくないと考えるからではない。身体はその心地よさを知り、口はその甘さを知り、目はその美しさを知り、耳はその楽しさを知っている。それでも上に照らせば聖人の仕事に適わず、下に照らせば万民の利に適わない。だから墨子が言った、音楽を行うのは非である、と。
解説
非樂篇でいちばん誤解されやすいところを、墨子自身が先に潰します。楽しくないと言っているのではない、美しくないと言っているのでもない。自分もその心地よさは分かっている、と明言したうえで、判定は別の基準で行うと述べる。反対する理由を、好き嫌いから切り離す。議論の作法として、これは非常に強い手です。
この章句が説くこと
好悪と判定切り離す議論の作法非楽基準
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
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