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墨子 / 明鬼下

若使鬼神誠無是乃費其所為酒醴粢盛之財耳。自夫費之,特注之汙壑而棄之也,内者宗族,外者鄉里,皆得如具飲食之。雖使鬼神誠無此猶可以合驩聚衆,取親於鄉里。今執無鬼者言曰:「鬼神者,固誠無有,是以不共其酒醴粢盛犧牲之財。吾非乃今愛其酒醴粢盛犧牲之財乎,其所得者將何哉?」此上逆聖王之書,内逆民人孝子之行。而為上士於天下,此非所以為上士道。是故子墨子曰:今吾為祭祀也,非直注之汙壑而棄之也,上以交鬼之福,下以合驩聚衆,取親乎鄉里。若神有,則是得吾父母弟兄而食之也,則此豈非天下利事也哉!

新字:若使鬼神誠無是乃費其所為酒醴粢盛之財耳。自夫費之,特注之汙壑而棄之也,内者宗族,外者鄉里,皆得如具飲食之。雖使鬼神誠無此猶可以合驩聚衆,取親於鄉里。今執無鬼者言曰:「鬼神者,固誠無有,是以不共其酒醴粢盛犠牲之財。吾非乃今愛其酒醴粢盛犠牲之財乎,其所得者将何哉?」此上逆聖王之書,内逆民人孝子之行。而為上士於天下,此非所以為上士道。是故子墨子曰:今吾為祭祀也,非直注之汙壑而棄之也,上以交鬼之福,下以合驩聚衆,取親乎鄉里。若神有,則是得吾父母弟兄而食之也,則此豈非天下利事也哉!

書き下し

若し鬼神をして誠に無からしめば、是れ乃ち其の酒醴粢盛を為る所の財を費やすのみ。夫れ之を費やすより、特だ之を汙壑に注ぎて之を棄つるにあらざるなり。内なる者は宗族、外なる者は鄉里、皆な具えて之を飲食するを得るが如し。鬼神をして誠に無からしむと雖も、此れ猶お以て驩を合わせ衆を聚め、親しみを鄉里に取る可し。今、無鬼を執る者、言いて曰く、「鬼神なる者は、固より誠に有ること無し。是を以て其の酒醴粢盛犧牲の財を共せず。吾れ乃ち今、其の酒醴粢盛犧牲の財を愛しむに非ざらんや。其の得る所の者は將に何ぞや」と。此れ上は聖王の書に逆らい、内は民人孝子の行いに逆らう。而して天下に上士為るは、此れ上士為る道に非ざるなり。是の故に子墨子曰く、今、吾が祭祀を為すや、直だ之を汙壑に注ぎて之を棄つるに非ざるなり。上は以て鬼の福に交わり、下は以て驩を合わせ衆を聚め、親しみを鄉里に取る。若し神有らば、則ち是れ吾が父母弟兄を得て之に食せしむるなり。則ち此れ豈に天下の利事に非ざらんや。

現代語訳

もし鬼神が本当に無いなら、それは酒や供物を作る財を費やすだけだ。しかしそれを費やすといっても、ただ汚れた溝に注いで捨てるわけではない。内は一族、外は郷里の人々が、みなそろってそれを飲み食いできる。たとえ鬼神が本当に無くても、これによって喜びを共にし人を集め、郷里の親しみを得られる。いま鬼神は無いと主張する者はこう言う。「鬼神というものは、そもそも本当に存在しない。だから酒や供物やいけにえの財を出さない。私は今その財を惜しんでいるのではない。それで得られるものは何なのか、と言っているのだ」。これは上は聖王の書に背き、内は民や孝子の行いに背く。それで天下の上等の士であろうとするのは、上等の士である道ではない。だから墨子が言った。いま私が祭祀を行うのは、ただ汚れた溝に注いで捨てるためではない。上は鬼神の福に与り、下は喜びを共にし人を集め、郷里の親しみを得る。もし神が有るなら、それは我が父母や兄弟に食べさせることになる。これが天下の利ある事でなくて何であろう。

解説

『墨子』のなかでも、とりわけ現実的な一段です。鬼神が本当にいるかどうかを保留したうえで、いなくても祭祀には価値があると論じる。供物は捨てられるのではなく、一族と郷里の人々が共に飲み食いする。「合驩聚衆、取親於鄉里」——喜びを共にし人を集め、親しみを得る。社内行事の費用を、行事そのものの意味とは別の効用で正当化する議論と、まったく同じ構造です。

この章句が説くこと

共食効用費用正当化

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