墨子 / 明鬼下
今執無鬼者之言曰:先王之書,慎無一尺之帛,一萹之書,語數鬼神之有,重有重亦何書之,亦何書有之哉?子墨子曰:《周書‧大雅》有之。《曰:「文王在上,於昭于天。周雖舊邦,其命維新。有周不顯,帝命不時。文王陟降,在帝左右。穆穆文王,令聞不已。」若鬼神無有,則文王既死,彼豈䏻在帝之左右哉?此吾所以知《周書》之鬼也。
新字:今執無鬼者之言曰:先王之書,慎無一尺之帛,一萹之書,語数鬼神之有,重有重亦何書之,亦何書有之哉?子墨子曰:《周書‧大雅》有之。《曰:「文王在上,於昭于天。周雖旧邦,其命維新。有周不顕,帝命不時。文王陟降,在帝左右。穆穆文王,令聞不已。」若鬼神無有,則文王既死,彼豈䏻在帝之左右哉?此吾所以知《周書》之鬼也。
書き下し
今、無鬼を執る者の言に曰く、先王の書、慎みて一尺の帛、一萹の書として、鬼神の有るを語り數え、重ねて有り重ぬる無し。亦た何ぞ之を書し、亦た何ぞ之れ有るを書せんや、と。子墨子曰く、周書大雅に之れ有り。曰く、「文王、上に在り、於ああ天に昭らかなり。周は舊邦なりと雖も、其の命は維れ新たなり。周有り顯らかならずや、帝の命、時ならずや。文王、陟り降り、帝の左右に在り。穆穆たる文王、令聞、已まず」と。若し鬼神、有ること無くんば、則ち文王、既に死せり、彼れ豈に帝の左右に在る䏻けんや。此れ吾が周書の鬼を知る所以なり。
現代語訳
いま鬼神は無いと主張する者はこう言う。「先王の書には、一尺の絹にも一篇の書にも、鬼神が有ることを語り数えて重ねて書いたものなど無い。なぜそれを書き、なぜ有ると書くのか」。墨子が言った。『周書・大雅』にそれがある。「文王は上にあり、ああ天に明らかである。周は古い国だが、その天命は新しい。周は輝かしいではないか、帝の命はふさわしいではないか。文王は昇り降りして、帝の左右にいる。おごそかな文王、その名声はやまない」。もし鬼神が無いなら、文王はすでに死んでいる。どうして帝の左右にいられようか。これが、私が『周書』の鬼神を知る理由である。
解説
証拠を古典の文言に求める段です。相手が「そんな記述は無い」と言うのに対し、具体的な篇名と本文を挙げて示す。論争の作法として、記述の有無を争うときは現物を出す、という当たり前のことを実践しています。引かれた「周雖舊邦、其命維新」は、日本でも「維新」の語源として知られる一句です。無いと言う側ではなく、有ると言う側が現物を出す。立証の負担の置き方も明確です。
この章句が説くこと
文献現物証拠維新論争
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『墨子』明鬼下且つ周書のみ獨り鬼にして、商書は鬼ならずんば、則ち未だ以て法と為すに足らざるなり。然らば則ち姑く嘗みに止まりて商書を觀ん。曰く、「嗚呼、古者、有夏、方に未だ禍有らざるの時、百獸貞蟲、允に飛鳥に及ぶまで、比方せざる莫し。矧んや人面に住まる、胡ぞ敢えて心を異にせんや。山川鬼神も、亦た敢えて寜んぜざる莫し。若し共に允なれば、天下の合、下土の葆に住まらん」と。山川鬼神の敢えて寜んぜざる莫き所以の者を察するに、以て禹を佐け謀ればなり。此れ吾が周商の鬼を知る所以なり。
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、夫れ衆人の耳目の請、豈に以て疑を斷ずるに足らんや。奈何ぞ其れ天下に髙き君子と為らんと欲して、復た衆の耳目の請を信ずること有らんや、と。子曰く、若し衆の耳目の請を以て、以て信ずるに足らずと為し、以て疑を斷ぜずんば、識らず、昔者の三代の聖王、堯舜禹湯文武の若き者は、以て法と為すに足るか。故に此に於て中人以上より皆な曰く、「昔者の三代の聖王の若きは、以て法と為すに足れり」と。若し茍くも昔者の三代の聖王、以て法と為すに足らば、然らば則ち姑く嘗みに上、聖王の事を觀ん。昔者、武王の殷を攻め紂を誅するや、諸侯をして其の祭を分かたしめて曰く、「親しき者をして内祀を受けしめ、疏き者をして外祀を受けしめよ」と。故に武王は必ず鬼神を以て有りと為す。是の故に殷を攻め紂を誅するに、諸侯をして其の祭を分かたしむ。若し鬼神、有ること無くんば、則ち武王、何ぞ祭を分かたんや。惟だ武王の事のみ然りと為すに非ざるなり。故に聖王、其の賞するや必ず祖に於てし、其の僇するや必ず社に於てす。祖に賞するは何ぞや。分の均しきを告ぐるなり。社に僇するは何ぞや。聴の中るを告ぐるなり。
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者、言いて曰く、夫れ天下の鬼神の物を聞き見ると為す者は、勝げて計う可からざるなり。亦た孰れをか鬼神の有無の物を聞き見ると為さんや、と。子墨子曰く、若し衆の同じく見る所と、衆の同じく聞く所とを以てせば、則ち昔者の杜伯の若き、是れなり。周の宣王、其の臣杜伯を殺して辜あらず。杜伯曰く、「吾が君、我を殺して辜あらず。若し死者を以て知る無しと為さば、則ち止まん。若し死して知る有らば、三年を出でずして、必ず吾が君をして之を知らしめん」と。其の三年、周の宣王、諸侯を合わせて圃田に田す。車數百乗、從う者數千、人、野に滿つ。日中、杜伯、白馬素車に乗り、朱の衣冠、朱の弓を執り、朱の矢を挾みて、周の宣王を追い、射て車上に入り、心に中りて脊を折り、車中に殪れ、弢に伏して死す。是の時に當たりて、周人の従う者、見ざる莫く、逺き者、聞かざる莫し。周の春秋に著し在り。君と為る者は以て其の臣に教え、父と為る者は以て其の子を警めて曰く、「之を戒め之を慎め。凡そ不辜を殺す者は、其れ不祥を得ん。鬼神の謀、此くの若く之れ遫やかなり」と。若の書の説を以て之を觀れば、則ち鬼神の有ること、豈に疑う可けんや。
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『墨子』明鬼下祖に賞するは何ぞや。分命の均しきを言うなり。社に僇するは何ぞや。獄を聴くの事を言うなり。故に古の聖王、必ず鬼神を以て賢に賞して暴を罰すと為す。是の故に賞は必ず祖に於てし、僇は必ず社に於てす。此れ吾が夏書の鬼を知る所以なり。故に尚書、夏書、其の次は商周の書、鬼神の有るを語り數うること、重ねて之を重ぬ。此れ其の故は何ぞや。則ち聖王、之を務むればなり。若の書の説を以て之を觀れば、則ち鬼神の有ること、豈に疑う可けんや。古に于て曰く、吉日丁卯、周、社方を代祝し、社考に嵗して、以て年夀を延ぶ、と。若し鬼神無くんば、彼れ豈に年夀を延ぶる所有らんや。
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『墨子』明鬼下古者、聖王、必ず鬼神を以て其の務めと為す。鬼神、厚し。又た後世の子孫の知る能わざるを恐る。故に之を竹帛に書し、後世の子孫に傳え遺す。咸な其の腐蠧絶滅して、後世の子孫、得て記さざるを恐る。故に之を盤盂に琢み、之を金石に鏤めて以て之を重んず。有た後世の子孫の敬莙する䏻わずして以て災を取るを恐る。故に先王の書、聖人は、一尺の帛、一篇の書にも、鬼神の有るを語り數うること、重ねて之を重ぬ。此れ其の故は何ぞ。則ち聖王、之を務むればなり。今、無鬼を執る者曰く、「鬼神なる者は、固より有ること無し」と。則ち此れ聖王の務めに反す。聖王の務めに反すれば、則ち君子の道を為す所以に非ざるなり。
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、「鬼神なる者は、固より有ること無し」と。旦暮に以て天下に教誨を為し、天下の衆を之れ疑わしめ、天下の衆をして皆な鬼神の有無の别に疑惑せしむ。是を以て天下亂る。是の故に子墨子曰く、今、天下の王公大人・士君子、實に将に天下の利を興し、天下の害を除かんことを求め欲せば、故に當に鬼神の有ると無きとの别、以て将に此を眀察せざる可からざる者と為すべきなり。既に鬼神の有無の别を以て察せざる可からずと為し已わる。然らば則ち吾れ此を眀察するを為すに、其の説、将に奈何にして可ならんとするや。子墨子曰く、是れ天下の以て有ると無きとを察知する所の道なる者と、必ず衆の耳目の實を以て有無を知るを儀と為す者なり。請に之を聞き之を見るに惑わば、則ち必ず以て無しと為さん。是くの若くんば何ぞ嘗みに一鄉一里に入りて之を問わざる。古より以て今に及ぶまで、生民より以來の者、亦た嘗て鬼神の物を見、鬼神の聲を聞くこと有らば、則ち鬼神、無しと謂う可けんや。若し聞く莫く見る莫くんば、則ち鬼神、有りと謂う可けんや。