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墨子 / 明鬼下

今執無鬼者曰:夫衆人耳目之請,豈足以斷疑哉?奈何其欲為髙君子於天下,而有復信衆之耳目之請哉?子曰:若以衆之耳目之請,以為不足信也,不以斷疑。不識若昔者三代聖王堯舜禹湯文武者,足以為法乎?故於此乎自中人以上皆曰:「若昔者三代聖王,足以為法矣。」若茍昔者三代聖王足以為法,然則姑嘗上觀聖王之事。昔者武王之攻殷誅紂也,使諸侯分其祭,曰:「使親者受内祀,疏者受外祀。」故武王必以鬼神為有,是故攻殷誅紂,使諸侯分其祭。若鬼神無有,則武王何分祭哉?非惟武王之事為然也,故聖王,其賞也必於祖,其僇也必於社。賞於祖者何也?告分之均也;僇於社者何也?告聴之中也。

新字:今執無鬼者曰:夫衆人耳目之請,豈足以断疑哉?奈何其欲為高君子於天下,而有復信衆之耳目之請哉?子曰:若以衆之耳目之請,以為不足信也,不以断疑。不識若昔者三代聖王堯舜禹湯文武者,足以為法乎?故於此乎自中人以上皆曰:「若昔者三代聖王,足以為法矣。」若茍昔者三代聖王足以為法,然則姑嘗上観聖王之事。昔者武王之攻殷誅紂也,使諸侯分其祭,曰:「使親者受内祀,疏者受外祀。」故武王必以鬼神為有,是故攻殷誅紂,使諸侯分其祭。若鬼神無有,則武王何分祭哉?非惟武王之事為然也,故聖王,其賞也必於祖,其僇也必於社。賞於祖者何也?告分之均也;僇於社者何也?告聴之中也。

書き下し

今、無鬼を執る者曰く、夫れ衆人の耳目の請、豈に以て疑を斷ずるに足らんや。奈何ぞ其れ天下に髙き君子と為らんと欲して、復た衆の耳目の請を信ずること有らんや、と。子曰く、若し衆の耳目の請を以て、以て信ずるに足らずと為し、以て疑を斷ぜずんば、識らず、昔者の三代の聖王、堯舜禹湯文武の若き者は、以て法と為すに足るか。故に此に於て中人以上より皆な曰く、「昔者の三代の聖王の若きは、以て法と為すに足れり」と。若し茍くも昔者の三代の聖王、以て法と為すに足らば、然らば則ち姑く嘗みに上、聖王の事を觀ん。昔者、武王の殷を攻め紂を誅するや、諸侯をして其の祭を分かたしめて曰く、「親しき者をして内祀を受けしめ、疏き者をして外祀を受けしめよ」と。故に武王は必ず鬼神を以て有りと為す。是の故に殷を攻め紂を誅するに、諸侯をして其の祭を分かたしむ。若し鬼神、有ること無くんば、則ち武王、何ぞ祭を分かたんや。惟だ武王の事のみ然りと為すに非ざるなり。故に聖王、其の賞するや必ず祖に於てし、其の僇するや必ず社に於てす。祖に賞するは何ぞや。分の均しきを告ぐるなり。社に僇するは何ぞや。聴の中るを告ぐるなり。

現代語訳

いま鬼神は無いと主張する者はこう言う。「多くの人の目と耳の実感が、疑いを断ずるに足りるだろうか。どうして天下で高い君子であろうとしながら、なお多くの人の目と耳の実感を信じるのか」。墨子が言った。もし多くの人の目と耳の実感が信じるに足りず、それで疑いを断ぜられないというなら、では昔の三代の聖王、堯・舜・禹・湯・文王・武王は手本とするに足りるか。ここでは中くらいの人以上はみな「昔の三代の聖王は手本とするに足りる」と言う。もし三代の聖王が手本とするに足りるなら、ではしばらく聖王の事績を見てみよう。むかし武王が殷を攻め紂を誅したとき、諸侯にその祭りを分けさせてこう言った。「近い者には内側の祀りを受けさせ、遠い者には外側の祀りを受けさせよ」。だから武王は必ず鬼神を有ると考えていた。だから殷を攻め紂を誅したとき、諸侯に祭りを分けさせた。もし鬼神が無いなら、武王はなぜ祭りを分けたのか。武王の事績だけがそうなのではない。聖王は賞するときは必ず祖廟で行い、罰するときは必ず社で行った。祖廟で賞するのはなぜか。分配が公平であることを告げるためである。社で罰するのはなぜか。裁きが的確であることを告げるためである。

解説

証拠の種類を、多数目撃から聖王の行動へ切り替えます。相手が前者を認めないなら後者はどうか、と論拠を積み替える。この柔軟さが墨子の議論の特徴です。そして末尾に置かれる説明が実務的で、賞を祖廟で行うのは分配の公平さを、罰を社で行うのは裁きの的確さを、公に告げるため。賞罰を公開の場で行う理由を、手続きの正当性の宣言として説明しています。

この章句が説くこと

公開賞罰手続き正当性論拠

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