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墨子 / 天志下

所謂小物則知之者,何若?今有人於此,入人之場園,取人之桃李薑者,上得且罰之,衆聞則非之,是何也?曰:不與其勞,獲其實,已非其所有取之故。而况有踰於人之牆垣,抯格人之子女者乎?與角人之府庫,竊人之金玉蚤絫者乎?與踰人之欄牢,竊人之牛馬者乎?而况有殺一不辜人乎?今王公大人之為政也,自殺一不辜人者,踰人之牆垣,抯格人之子女者,與角人之府庫,竊人之金玉蚤絫者,與踰人之欄牢,竊人牛馬桃李薑者,今王公大人之加罰此也,雖古之堯舜禹湯文武之為政,亦無以異此矣。

新字:所謂小物則知之者,何若?今有人於此,入人之場園,取人之桃李薑者,上得且罰之,衆聞則非之,是何也?曰:不与其労,獲其実,已非其所有取之故。而況有踰於人之牆垣,抯格人之子女者乎?与角人之府庫,竊人之金玉蚤絫者乎?与踰人之欄牢,竊人之牛馬者乎?而況有殺一不辜人乎?今王公大人之為政也,自殺一不辜人者,踰人之牆垣,抯格人之子女者,与角人之府庫,竊人之金玉蚤絫者,与踰人之欄牢,竊人牛馬桃李薑者,今王公大人之加罰此也,雖古之堯舜禹湯文武之為政,亦無以異此矣。

書き下し

謂う所の小物には則ち之を知る者は、何若ん。今、人此に有り、人の場園に入りて、人の桃李薑を取る者は、上、得て且つ之を罰し、衆、聞けば則ち之を非とす。是れ何ぞや。曰く、其の勞に與らずして、其の實を獲る。已に其の有する所に非ずして之を取るが故なり。而るに况んや人の牆垣を踰えて、人の子女を抯格する者有るをや。人の府庫を角して、人の金玉蚤絫を竊む者と、人の欄牢を踰えて、人の牛馬を竊む者とをや。而るに况んや一の不辜の人を殺す有るをや。今、王公大人の政を為すや、一の不辜の人を殺す者、人の牆垣を踰えて人の子女を抯格する者、人の府庫を角して人の金玉蚤絫を竊む者、人の欄牢を踰えて人の牛馬・桃李薑を竊む者より、今、王公大人の罰を此に加うるや、古の堯舜禹湯文武の政を為すと雖も、亦た此に異なる無し。

現代語訳

いわゆる小さなことなら分かっている、というのはどういうことか。いまここに人がいて、人の畑に入って桃や李や生姜を取れば、上はそれを捕らえて罰し、人々はそれを聞いて非難する。それはなぜか。その労苦に加わらずに実だけを取り、もともと自分のものでないものを取ったからである。まして人の塀を越えて人の子女を捕らえる者、人の蔵をこじあけて金玉や真珠を盗む者、人の家畜小屋を越えて牛馬を盗む者となればなおさらだ。まして罪の無い一人を殺す者となればなおさらだ。いま王公大人が政治を行うにあたって、罪の無い一人を殺す者、人の塀を越えて子女を捕らえる者、蔵をこじあけて金玉や真珠を盗む者、家畜小屋を越えて牛馬や桃李や生姜を盗む者に罰を加えることは、昔の堯・舜・禹・湯・文王・武王の政治と変わりない。

解説

非攻上篇の議論が、天志下篇でも繰り返されます。理由づけが加わっているのが違いで、「不與其勞、獲其實」——労苦に加わらずに実を取る、が窃盗の定義になっています。所有の根拠を労働に置く定義で、この一句だけを取り出しても十分に興味深い。そして罰の対象については、昔も今も判断が一致していると確認します。小さな取り分では働きを問うのに、大きな取り分では問わない。その落差が突かれています。

この章句が説くこと

所有労働窃盗の定義一致

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