墨子 / 天志上
子墨子言曰:我有天志,譬若輪人之有規,匠人之有矩。輪匠執其規矩,以度天下之方圜,曰:中者是也,不中者非也。今天下之士君子之書不可勝載,言語不可盡計,上説諸侯,下説列士,其於仁義則大相逺也。何以知之?曰:我得天下之明法以度之。
新字:子墨子言曰:我有天志,譬若輪人之有規,匠人之有矩。輪匠執其規矩,以度天下之方圜,曰:中者是也,不中者非也。今天下之士君子之書不可勝載,言語不可尽計,上説諸侯,下説列士,其於仁義則大相遠也。何以知之?曰:我得天下之明法以度之。
書き下し
子墨子言いて曰く、我れに天志有り、譬えば輪人の規有り、匠人の矩有るが若し。輪匠は其の規矩を執りて、以て天下の方圜を度りて曰く、中る者は是なり、中らざる者は非なり、と。今、天下の士君子の書は勝げて載す可からず、言語は盡く計う可からず。上は諸侯に説き、下は列士に説くも、其の仁義に於けるは則ち大いに相い逺きなり。何を以て之を知るや。曰く、我れ天下の明法を得て以て之を度ればなり。
現代語訳
墨子が言った。私には天の志がある。たとえば車輪職人にコンパスがあり、大工にさしがねがあるようなものだ。職人はそのコンパスとさしがねを手にして、天下の四角と円を測ってこう言う。合うものは正しく、合わないものは正しくない、と。いま天下の士君子の書物は載せきれず、言葉は数え切れない。上は諸侯に説き、下は士に説くが、仁義から見ればはるかに遠い。なぜそう分かるのか。私が天下の明らかな物差しを手にして測るからである。
解説
天志上篇の結びであり、この篇で最も有名な一句です。「我有天志、譬若輪人之有規、匠人之有矩」。天の志を、信仰の対象ではなく測定器として定義する。コンパスがあれば誰が測っても同じ結果になるように、基準があれば主張の是非を測れる。法儀篇の「百工に規矩あり」がここで思想の判定にまで拡張されました。無数の言説を前にしたとき、必要なのは反論ではなく物差しだ、という主張です。
この章句が説くこと
物差し規矩判定基準天志
関連する章句
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『墨子』尚賢下子墨子言いて曰く、「天下の王公大人は皆な其の國家の富み、人民の衆く、刑法の治まるを欲す。然れども尚賢を以て政を為して其の國家百姓を治むるを識らず。王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失えるなり。若し茍くも王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失わば、則ち物を舉げて之に示す毋くんばある能わざらんや。今、若し一諸侯、此に有りて、國家に政を為すや、曰く、『凡そ我が國の能く射御する士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。射御する能わざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず能く射御する士は喜び、射御する能わざる士は懼れんと為す。我れ賞して因りて之を誘わん、曰く、『凡そ我が國の忠信の士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。忠信ならざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。」
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『墨子』法儀子墨子曰く、天下の事を從むる者は、以て法儀無かる可からず。法儀無くして其の事能く成る者は、有ること無し。士の將相為る者に至ると雖も皆な法有り、百工の事を從むる者に至ると雖も亦た皆な法有り。百工は方を為すに矩を以てし、圜を為すに規を以てし、直きは繩を以てし、正しきは懸を以てす。巧工も不巧工も無く、皆な此の四者を以て法と為す。巧なる者は能く之に中り、不巧なる者は中つる能わずと雖も、放依して以て事を從めば、猶お已に逾えたり。故に百工の事を從むるや、皆な法度有り。今、大なる者は天下を治め、其の次は大國を治むるに、而も法度無し。此れ百工の辯なるに若かざるなり。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
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『墨子』尚賢上是の故に古者、聖王の政を為すや言いて曰く、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と。是を以て國の富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を舉ぐるに貧賤を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。親しき者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は親なり。今、上、義を舉ぐるに親疎を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。近き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は近なり。今、上、義を舉ぐるに近を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我れ逺きを以て恃む無しと為す。今、上、義を舉ぐるに逺きを辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺鄙郊外の臣、門庭の庶子、國中の衆、四鄙の氓人に逮び至るまで、之を聞きて皆な競いて義を為す。
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『墨子』尚同上子墨子言いて曰く、古者、民、始めて生じて未だ刑政有らざる時、盖し其の語、人ごとに義を異にす。是を以て一人なれば則ち一義、二人なれば則ち二義、十人なれば則ち十義。其の人、滋いよ衆ければ、其の義と謂う所の者も亦た滋いよ衆し。是を以て人は其の義を是として、以て人の義を非とす。故に交ごも相い非とし是とするなり。内なる者は父子兄弟、怨惡を作し、離散して相い和合する能わず。天下の百姓、皆な水火毒藥を以て相い虧害し、餘力有るに至るも以て相い勞う能わず。餘財を府列するも以て相い分かたず、良道を隠匿するも以て相い教えず。天下の亂るること、禽獸の若く然り。