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臣軌 / 卷上 公正章

夫不正於昧金而照於瑩鏡者、以瑩能明也、不鑒於流波而鑒於靜水者、以靜能清也。鏡、水以明清之性、故能形物之形、見其善惡。而物無怨者、以鏡水至公而無私也。鏡水至公、猶免於怨、而況於人乎!

新字:夫不正於昧金而照於瑩鏡者、以瑩能明也、不鑒於流波而鑒於静水者、以静能清也。鏡、水以明清之性、故能形物之形、見其善悪。而物無怨者、以鏡水至公而無私也。鏡水至公、猶免於怨、而況於人乎!

書き下し

それ昧金に正さずして瑩鏡に照らす者は、瑩の能く明らかなるを以てなり。流波に鑑みずして静水に鑑みる者は、静の能く清きを以てなり。鏡・水は明清の性を以て、故に能く物の形を形し、その善悪を見わす。而して物に怨む者無きは、鏡水の至公にして私無きを以てなり。鏡水は至公なるも、猶お怨みを免る。而るを況んや人に於てをや。

現代語訳

曇った金物で身を正さず、磨いた鏡に映して正すのは、磨かれたものがよく明らかだからである。流れる波に映さず、静かな水に映すのは、静かなものがよく清いからである。鏡と水は明るく清いという性質によって物の形をそのまま映し、その善悪を見せる。それでいて映された物が怨まないのは、鏡と水が極めて公であって私がないからだ。鏡や水でさえ、公であることで怨みを免れる。まして人においてはなおさらである。

解説

人を評価するときの姿勢を、鏡と水にたとえた一段である。要点は二つ。第一に、映すものの側が明るく静かでなければ正しく映らない。曇った金物や波立つ水には、形が歪んで映る。第二に、鏡と水が怨まれないのは、公であって私がないからだ。同じことを言われても、私心があると受け取られれば怨まれ、公と分かれば受け入れられる。評価や指摘が通るかどうかは、内容より、評価する側が静かで私がないかで決まるという指摘である。直前には「古の君子は、先ずその心を正す」と置かれている。

この章句が説くこと

瑩鏡と静水至公にして私無し物の形を形す評価の姿勢

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