牧民忠告 / 受代
代之未至也,風民立石以頌德,結綺門以祖行,鳩錢帛以佐路費,建生祠以圖不朽之名,皆非士君子之事也。蓋為善不求人知者為上,知而不自有其善者次之,呶呶焉自謀自鬻,惟崇虛譽者,風斯在下矣。
新字:代之未至也,風民立石以頌徳,結綺門以祖行,鳩銭帛以佐路費,建生祠以図不朽之名,皆非士君子之事也。蓋為善不求人知者為上,知而不自有其善者次之,呶呶焉自謀自鬻,惟崇虚誉者,風斯在下矣。
書き下し
代の未だ至らざるや、民を風(うなが)して石を立てて徳を頌(しょう)せしめ、綺門(きもん)を結びて行を祖(そ)し、銭帛(せんぱく)を鳩(あつ)めて路費を佐(たす)けしめ、生祠(せいし)を建てて不朽の名を図らしむるは、皆士君子の事に非ざるなり。蓋し善を為して人の知るを求めざる者を上と為し、知られて自ら其の善を有せざる者は之に次ぎ、呶呶(どうどう)焉として自ら謀り自ら鬻(ひさ)ぎ、惟だ虚誉を崇(とうと)ぶ者は、風斯(すなわ)ち下に在り。
現代語訳
まだ交代の時が来ていないのに、民を仕向けて頌徳碑を立てさせ、美々しい門を結んで送別の儀を行わせ、金銭や布帛を集めて旅費の足しにさせ、生きているうちから祠を建てて不朽の名声を図らせるようなことは、いずれも士君子のすることではない。そもそも善を行っても人に知られることを求めない者が最上であり、知られても自分の善を自分の手柄にしない者がこれに次ぐ。くどくどと自分で吹聴し自分を売り込み、ひたすら虚名を崇める者は、その品格は下位にある。
解説
本条は、離任にあたり民を動かして頌徳碑や送別の儀を仕立て、自らの名声を演出する行為を厳しく戒める。善行の価値は他人に知られることではなく、行為そのものにあるという徳の序列(人に知られることを求めない>知られても誇らない>自ら吹聴する)を示す一節である。現代の組織でも、実績を誇張して発信したり、自らの功績を演出したりする人物は少なくないが、真に信頼されるのは黙々と成果を積み上げる姿勢である。地位を去るときにこそ、その人の器量が試される。
この章句が説くこと
不可自鬻虚誉謙徳離任
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