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牧民忠告 / 閑居

士當求進於己,而不可求進於人也。所謂求進於己者,道業學術之精是也;所謂求進於人者,富貴利達之榮是也。蓋富貴利達在天,而不可求;道業學術在我,而不可不求也。況古之人,不以富貴利達為心也,其所以從仕者,宜假此以行道也。道不行而富貴利達者,古人以為恥,而不以為榮。嗚呼,非誠有致君澤民之心者,其孰能與於此?

新字:士当求進於己,而不可求進於人也。所謂求進於己者,道業学術之精是也;所謂求進於人者,富貴利達之栄是也。蓋富貴利達在天,而不可求;道業学術在我,而不可不求也。況古之人,不以富貴利達為心也,其所以従仕者,宜仮此以行道也。道不行而富貴利達者,古人以為恥,而不以為栄。嗚呼,非誠有致君沢民之心者,其孰能与於此?

書き下し

士は当(まさ)に己に進むを求むべくして、人に進むを求むべからざるなり。謂う所の己に進むを求むとは、道業学術の精なる是れなり。謂う所の人に進むを求むとは、富貴利達の栄なる是れなり。蓋し富貴利達は天に在りて求むべからず、道業学術は我に在りて求めざるべからず。況んや古の人は、富貴利達を以て心と為さざるなり。其の仕うるに従う所以の者は、宜しく此を仮(か)りて以て道を行うべければなり。道行われずして富貴利達なる者は、古人以て恥と為し、栄と為さざるなり。嗚呼、誠に君を致し民を沢(うるお)すの心有るに非ずんば、其れ孰(たれ)か能く此に与(あずか)らんや。

現代語訳

士たる者は、自分自身の内面において進歩を求めるべきであって、他人(世間)から評価されての出世を求めてはならない。ここでいう「自分に進むことを求める」とは、学問や修養を精密に極めることである。「他人に進むことを求める」とは、富貴や栄達の栄華である。そもそも富貴や栄達は天命によるものであって求めても得られず、学問や修養は自分次第であり求めずにいることはできない。まして昔の人は、富貴栄達を心の目的とはしなかった。彼らが仕官した理由は、その地位を借りて道を実践するためであった。道が行われないまま富貴栄達を得ることを、昔の人は恥とし、栄誉とは考えなかった。ああ、真に君主を正しく導き民を潤す志がある者でなければ、誰がこの境地に至ることができようか。

解説

本条は、自己研鑽(道業学術)と外的成功(富貴利達)を峻別し、士たる者は前者を求め後者を求めるべきではないと説く。富貴利達は天に属し自らの力で得られるものではないが、学問と修養は自分の意志次第で追求できるという対比が明快である。仕官の目的はあくまで道を行うことであり、道が伴わない出世は恥だとする古人の価値観を紹介する。現代の組織においても、地位や報酬そのものを目的化するのではなく、自らの能力と見識を磨くことに主眼を置く姿勢こそが、長期的な信頼と実質的な成果につながるという教訓を読み取ることができる。

この章句が説くこと

求進於己道業学術富貴利達修養

この一句を、あなたの毎日に。

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