牧民忠告 / 慎獄
詰盜非難,而警盜為難;警盜非難,而使民不為盜尤難。蓋天下事,先其幾為之則不餘,後其幾為之則艱苦而無益。夫盜竊案之發也,恒出不虞,知者防於末然。其防之之術,則不廣耳目,嚴巡邏,戒飲賭,禁遊聚,或旬或月,即命尉行境的恐懼之,夫盜竊案猶鼠也,尉猶捕鼠之貍也,勤於出,鼠必伏而不動;貍怠出,則鼠必興矣。彼為慰者,與其勞於已然,孰若警於末發之為愈?若夫使民不為盜,則又在於勤本以致富。勤斯富,富斯禮義生,禮義生,雖驅之使竊,亦必不肯為之矣。故管子謂:「倉廩實而知禮節,衣食足而知榮辱。」諒哉!
新字:詰盗非難,而警盗為難;警盗非難,而使民不為盗尤難。蓋天下事,先其幾為之則不余,後其幾為之則艱苦而無益。夫盗竊案之発也,恒出不虞,知者防於末然。其防之之術,則不広耳目,厳巡邏,戒飲賭,禁遊聚,或旬或月,即命尉行境的恐懼之,夫盗竊案猶鼠也,尉猶捕鼠之貍也,勤於出,鼠必伏而不動;貍怠出,則鼠必興矣。彼為慰者,与其労於已然,孰若警於末発之為愈?若夫使民不為盗,則又在於勤本以致富。勤斯富,富斯礼義生,礼義生,雖駆之使竊,亦必不肯為之矣。故管子謂:「倉廩実而知礼節,衣食足而知栄辱。」諒哉!
書き下し
盜を詰(ただ)すは難きに非ずして、盜を警(いまし)むるを難しと為す。盜を警むるは難きに非ずして、民をして盜を為さざらしむるを尤も難しと為す。蓋し天下の事、其の幾(き)に先んじて之を為せば則ち餘りあらず、其の幾に後(おく)れて之を為せば則ち艱苦(かんく)にして益無し。夫れ盜竊の案の發するや、恒に不虞(ふぐ)に出づ、知る者は末然(まつぜん)に防ぐ。其の之を防ぐの術は、則ち耳目を廣め、巡邏(じゅんら)を嚴にし、飲賭(いんと)を戒め、遊聚(ゆうしゅう)を禁じ、或いは旬、或いは月、即ち尉(い)をして境を行(めぐ)りて之を恐懼(きょうく)せしめよ。夫れ盜竊の案猶お鼠のごとし、尉猶お鼠を捕うるの貍(り)のごとし。出づるに勤(つと)むれば、鼠必ず伏して動かず。貍出づるに怠れば、則ち鼠必ず興らん。彼(かの)慰(い)為る者、其の已に然るに勞するよりは、孰(いず)れか末だ發せざるに警(いまし)むるの愈(まさ)れるに若かん。若し夫れ民をして盜を為さざらしむれば、則ち又た本を勤めて以て富を致すに在り。勤めば斯(すなわ)ち富み、富めば斯ち禮義生じ、禮義生ずれば、之を驅りて竊ましめんとすと雖も、亦た必ず肯(あえ)て之を為さざらん。故に管子謂う、「倉廩(そうりん)實(み)ちて禮節を知り、衣食足りて榮辱を知る」と。諒(まこと)なるかな。
現代語訳
盗みを取り調べることは難しくない、盗みを警戒し防ぐことこそが難しい。盗みを警戒することも難しくない、民に盗みをさせないようにすることこそが最も難しい。そもそも世の中のことは、事の兆しに先んじて手を打てば余裕をもって対処でき、兆しに遅れて手を打てば骨折りが多いばかりで益がない。盗みの事件が起きるのは、常に予想しないところから起こるものであり、賢い者は事が起こる前に防ぐ。その防ぐ方法とは、耳目を広く行き渡らせ、巡回を厳重にし、飲酒や賭博を戒め、無為に群れ集まることを禁じ、十日ごとか一月ごとかに、尉に境内を巡回させて盗人を恐れさせることである。盗みの事件はいわば鼠のようなもの、尉は鼠を捕らえる猫のようなものである。猫がまめに出歩けば、鼠は必ず身を潜めて動かない。猫が出歩くのを怠れば、鼠は必ず活発になる。取り締まる者は、事が起きてから苦労するよりも、事が起きる前に警戒しておく方がはるかによい。さらに、民に盗みをさせないようにするには、本業である農業に励んで豊かになることが大切である。励めば豊かになり、豊かになれば礼儀が生まれ、礼儀が生まれれば、たとえ盗みをさせようと駆り立てても、決して盗もうとはしないだろう。それゆえ管子は「穀物倉が満ちて礼節を知り、衣食が足りて名誉と恥辱を知る」と言った。まことにその通りである。
解説
この章句が説くこと
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