牧民忠告 / 御下
吏佐官治事,其人不可缺,而其勢最親。惟其親故,久而必至無所畏;惟其不可缺故,久而必至為奸。此當今之通病也。欲其有所畏,則莫若自嚴;欲其不為奸,則莫若詳視其案也。所謂自嚴者,非厲聲色也,絕其饋遺而已矣。所謂詳視其案者,非吹毛求疵也,理其綱領而已矣。蓋天下之事無有巨細,皆資案牘以行焉,少不經心,則奸偽隨出。大抵使不忍欺為上,不能欺次之,不敢欺又次之。夫以善感人者,非聖人不能,故前輩謂:「不忍欺在德,不能欺在明,不敢欺在威。」於斯三者,度己所能而處之,庶不為彼所侮矣。
新字:吏佐官治事,其人不可欠,而其勢最親。惟其親故,久而必至無所畏;惟其不可欠故,久而必至為奸。此当今之通病也。欲其有所畏,則莫若自厳;欲其不為奸,則莫若詳視其案也。所謂自厳者,非厲声色也,絶其饋遺而已矣。所謂詳視其案者,非吹毛求疵也,理其綱領而已矣。蓋天下之事無有巨細,皆資案牘以行焉,少不経心,則奸偽随出。大抵使不忍欺為上,不能欺次之,不敢欺又次之。夫以善感人者,非聖人不能,故前輩謂:「不忍欺在徳,不能欺在明,不敢欺在威。」於斯三者,度己所能而処之,庶不為彼所侮矣。
書き下し
吏(り)は官を佐(たす)けて事を治む、其の人欠く可からずして、其の勢い最も親し。惟(た)だ其の親しきが故に、久しくして必ず畏るる所無きに至る。惟だ其の欠く可からざるが故に、久しくして必ず奸(かん)を為すに至る。此れ当今の通病なり。其れをして畏るる所有らしめんと欲すれば、則ち自ら厳にするに若(し)くは莫し。其れをして奸を為さざらしめんと欲すれば、則ち詳しく其の案(あん)を視るに若くは莫し。所謂(いわゆる)自ら厳にすとは、声色を厲(はげ)しくするに非ざるなり、其の饋遺(きい)を絶つのみ。所謂詳しく其の案を視るとは、毛を吹きて疵(きず)を求むるに非ざるなり、其の綱領を理(おさ)むるのみ。蓋(けだ)し天下の事巨細有ること無く、皆案牘(あんとく)に資(と)りて以て行わる。少しく心を経ざれば、則ち奸偽随いて出づ。大抵欺うに忍びざらしむるを上と為し、欺くこと能わざらしむる之に次ぎ、敢えて欺かざらしむる又之に次ぐ。夫れ善く人を感ぜしむる者は、聖人に非ざれば能わず。故に前輩謂う、「欺うに忍びざるは徳に在り、欺くこと能わざるは明に在り、敢えて欺かざるは威に在り」と。斯(こ)の三者に於いて、己の能くする所を度(はか)りて之に処すれば、庶(こいねが)わくは彼の侮(あなど)る所と為らざらん。
現代語訳
官吏の下僚(属吏)は長官を補佐して政務を処理する。この人材は欠かすことができず、また立場上最も長官に近い。その親しさゆえに、長くいれば必ず長官を畏れなくなる。またその欠かせなさゆえに、長くいれば必ず不正を働くようになる。これが今日どこにでもある弊害である。属吏に畏れる気持ちを持たせたいなら、自分自身が厳格であることに勝る方法はない。属吏に不正を働かせないようにしたいなら、文書・案件を詳しく見ることに勝る方法はない。ここで言う「自ら厳にする」とは、声を荒げたり顔色を険しくすることではなく、贈り物のやり取りを断つことに他ならない。「詳しく案を視る」とは、あら探しをすることではなく、事の要点をきちんと押さえることに他ならない。そもそも天下の事は大小を問わず、すべて文書に基づいて行われる。少しでも注意を怠れば、不正がすぐに現れる。おおよそ、部下に「欺くに忍びない」と思わせるのが最上であり、「欺くことができない」と思わせるのがその次、「あえて欺かない」と思わせるのがさらにその次である。人を心から感化するのは聖人でなければできないので、先人は「欺くに忍びないのは徳による、欺くことができないのは明察による、あえて欺かないのは威厳による」と言った。この三つのうち、自分の力量を見極めてそれに応じた対処をすれば、部下に侮られずに済むだろう。
解説
この章句が説くこと
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牧民忠告・御下小にしては一邑(いちゆう)と為り、大にしては天下と為るも、賞罰明らかなれば、則ち声色を煩わさずして威令自(おのずか)ら行わる。人徒(ただ)民を治むるの難きを知りて、吏を治むるの尤(もっと)も難きを知らず。蓋し吏は官と比(ひ)し、詭詐(きさ)生じ易し。民は官に遠く、理法を知る能わず、誤(あやま)って然(しか)して犯す、宜(むべ)なるかな矜(あわれ)む可きがごとし。吏は則ち日(ひび)法律の中に処り、知らざるに非ざるなり、小過懲(こ)らさざれば、必ず大患を為し、忌憚(きたん)する所無からん。嘗て聞く、「民を治むるは目を治むるが如し、撥触(はっしょく)すれば則ち益々昏(くら)し。吏を治むるは歯牙(しが)を治むるが如し、剔漱(てきそう)すれば則ち益々利(と)し」と。《伝》に曰わく、「威其の愛に克てば允(まこと)に済(な)る、愛其の威に克てば允に罔(あやま)る」と。功(こう)此れに法(のっと)りて行わば、断じて治め難きに至らじ。
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牧民忠告・事長尊卑の分定まれば、則ち家に逆子無く、国に叛臣無し。夫れ国の亡ぶる所以、家の敗るる所以は、皆卑の尊有らずして、尊の卑を制する能わざるの致す所に由るなり。諸(これ)を歴代に考うるに、厥(そ)の監(かがみ)甚だ明らかなり。今夫れ上は朝廷、下は郡邑、其の官を設くるや、長有り、弐(に)有り、幕属有り、胥吏(しょり)有り、各々其の分に安んじて其の事に事(つか)えれば、天下安(いずく)んぞ治まらざる有らんや。惟だ其れ小智自私、同寅(どういん)の義に乖(そむ)き、協恭(きょうきょう)の誠無く、衷(ちゅう)既に和せざれば、則ち所見必ず同じからざる者有り。或いは長官侍佐(じさ)弐の礼を知らず、或いは佐弐長官に事うるの道に闇(くら)し、少しく辞色を見(あらわ)せば、則ち彼我胥(あい)失う。若し夫れ事例爾(しか)るべくして、所見或いは同じからざれば、下に居る者は当に其の意を誠にし、其の辞を婉(えん)にし、其の容体を卑(ひく)くして、以て其の上を開くべし。若し尤も未だ允(ゆる)されざれば、則ち其の退くを俟(ま)ちて之を家に語る。人は木石に非ず、回らざるの理無し。其れ或いは下に居る者に不可なる所有らば、長たる者も亦当に是くの如く之を暁(さと)すべきなり。稍(やや)抉(えぐ)る所有りて、強縦(きょうしょう)有りと雖も、退きて必ず堪えざる者有り、日に引き月に深く、終に泄露(せつろ)するに於いてす。人其の乖忤(かいご)を見るなり。讒譖(ざんしん)の言、之に乗じて入る。久しければ則ち訟必ず興り、政事隳(やぶ)れん。一時の忿(いきどお)りの為に同僚の心をして離れしめ、闔境(こうきょう)の民治まるを得ざれば、則ち其の人の褊浅(へんせん)なること知る可し。古人言えること有り、「必ず忍ぶこと有りて、乃ち其れ済(な)す有り」と。又曰く、「忍は衆妙の門為り」と。旨(むね)なるかな。
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牧民忠告・拜命普天率土(ふてんそっと)、生人窮まり無きなり、然れども国の寵霊(ちょうれい)を受けて民の司牧(しぼく)と為る者、能(よ)く幾何(いくばく)の人ぞ。既に命を受けて以て斯の民を牧すれば、而(しか)も公廉の心を守る能わざれば、是れ自ら愛せざるなり、寧(なん)ぞ世の誚(そし)る所と為らざらんや。況んや一身の微、享(う)くる所能く幾ばくぞ、厥(そ)の心溪壑(けいがく)にして、適(まさ)に以て自ら賊(そこな)う。一たび罪及べば、上は国恩を孤(そむ)き、中は親を辱めに貽(のこ)し、下は郷鄰朋友をして詬(はじ)を蒙り羞(はじ)を包ましむ、千金を任(にな)うと雖も、一夕縲紲(るいせつ)の苦しみを償うに足らず。其の已に敗るるを戚(うれ)うるよりは、曷(なん)ぞ未然を厳にするに若かんや。嗟(ああ)爾(なんじ)官有る者、宜しく深く戒むべき所なり。
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風憲忠告・詢訪苐三今政を為す者、往往にして先入の言を以て主と為すは、彼一偏に狃(な)れ徇(したが)うに非ず、蓋し上下の情に通ぜざるに由るが故なり。故に其の情に通ずるは、悉心詢訪(じゅんぽう)するに如くは莫し。小にしては一県一州、大にしては一郡一国、吏孰(いず)れか貪邪、官孰れか廉正、何事か衆を病ましめ、何政か民を利するか、豪横の有無、風俗の厚薄、既にその凡(あらまし)を得て、他日詳らかに綜覈(そうかく)を加え、復た験(あか)すに事を以てせば、其れ孰か隠るるを得んや。苟しくも廉ならば、即ちこれを優しみ、これを礼貌し、これを薦挙せば、則ち善なる者勧む。苟しくも貪ならば、極品の貴と雖も、即ちこれを蔑(なみ)し、これを威拒し、これを紏劾せば、則ち悪を為す者懲む。推して士を待ち吏を遇するに至るも、亦然らざるは莫し。大抵一道の任は、猶お一家の務のごとし。善く家を為す者は、その子弟族属、下は奴隷に逮(およ)ぶまで、その情性の良否、皆当に知るべき所なり。一たび或いは及ばざれば、則ち将に甘んじて弄せらるる所と為りて悟らず、久しければ必ず是非顛倒し、佞を以て忠と為し、貪を以て廉と為し、無能を以て有能と為すに致り、政令行われずして紀綱替(すた)らん。前輩云う有り、「宰相為ること難からず、一心正しく、両眼眀らかならば足れり」と。烏呼、彼の風憲を長たる者、其の責任の重き、亦豈に夫の宰相に下らんや。之を若何ぞ前輩の言を以て法と為さざる。
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牧民忠告・御下皂卒(そうそつ)徒隸(とれい)は、公故(こうこ)に非(あら)ざれば与(とも)に語る勿(な)かれ、公遣(こうけん)に非ざれば民と相往来せしむる勿かれ。若輩(じゃくはい)の小人は、威を以て之に蒞(のぞ)むすら猶(な)お患(うれ)いを為すことを恐る、一(ひと)たび或いは厳を解けば、必ず百(ひゃく)忌憚(きたん)する無からん。
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牧民忠告・御下諸吏曹(しょりそう)をして縦(ほしいまま)に民間に游(あそ)び、富室(ふしつ)に交わりを納(い)れ、以て官事を洩(も)らし、以て訟端(しょうたん)を来(まね)き、以て幸門(こうもん)を啓(ひら)かしむる勿(な)かれ。暇(いとま)あれば則ち召集して経(けい)を講じ律を読ましめ、多方(たほう)に之を羈縻(きび)すれば、則ち自然に横(ほしいまま)ならず。