牧民忠告 / 聽訟
親族相訟,宜徐而不宜亟,宜寬而不宜猛。徐則或誤其非。猛則益滋其惡。第下其里中開諭之,斯得體矣。
新字:親族相訟,宜徐而不宜亟,宜寛而不宜猛。徐則或誤其非。猛則益滋其悪。第下其里中開諭之,斯得体矣。
書き下し
親族相訟(あいうった)うるは、宜しく徐(しず)かなるべくして亟(すみや)かなるべからず、宜しく寛なるべくして猛なるべからず。徐かなれば則ち或いは其の非を誤る。猛なれば則ち益々其の悪を滋(しげ)らしむ。第(ただ)其の里中(りちゅう)に下してこれを開諭(かいゆ)せしめば、斯(こ)れ体(たい)を得たり。
現代語訳
親族同士の訴訟は、ゆっくり時間をかけるべきで急ぐべきではなく、寛大に扱うべきで厳しくすべきではない。ただし、あまりに時間をかけすぎると、かえって事の是非を見誤ることがある。一方、厳しく当たれば、ますますその悪感情を増長させてしまう。そこで、事件を地元の郷里の中に下ろして人々に諭させれば、それが最も適切な方法である。
解説
親族間の争いは他人同士の争いと違い、感情的なもつれが根深く、性急な裁定や厳格な処罰は火に油を注ぐ結果になりやすい。しかし放置しすぎれば実情の把握を誤る危険もある。張養浩はその中庸を、地域共同体による説諭という第三の道に求めた点が特徴的である。現代の組織における身内同士(同族企業や長年の同僚間)のトラブルにも通じる知恵であり、管理職がトップダウンで即断即決するのではなく、当事者に近い信頼できる第三者や周囲の人間関係を介して調整を促すことが、関係を修復しつつ問題を解決する有効な手段となり得ることを示している。
この章句が説くこと
親族之訟緩急中庸共同体調停
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