牧民忠告 / 上任
昔人有欲之官而惡其地之瘴者。或釋之曰:「瘴之為害,不特地也,仕亦有瘴也。急催暴斂,剝下奉上,此租賦之瘴;深文以逞,良惡不白,此刑獄之瘴;侵牟民利,以實私儲,此貨財之瘴;攻金攻木,崇飾車服,此工役之瘴;盛揀姬妾,以娛聲色,此帷薄之瘴也。有一於此,無間遠邇,民怨神怒,無疾者必有疾,而有疾者必死也。」昔元城劉先生處瘴海而神觀愈強,是知地之瘴者未必能死人,而能死人者常在乎仕瘴也。慮彼而不慮此,不亦左乎?故餘具載其言,以為授官憚遠避難者之戒。
新字:昔人有欲之官而悪其地之瘴者。或釈之曰:「瘴之為害,不特地也,仕亦有瘴也。急催暴斂,剝下奉上,此租賦之瘴;深文以逞,良悪不白,此刑獄之瘴;侵牟民利,以実私儲,此貨財之瘴;攻金攻木,崇飾車服,此工役之瘴;盛揀姬妾,以娛声色,此帷薄之瘴也。有一於此,無間遠邇,民怨神怒,無疾者必有疾,而有疾者必死也。」昔元城劉先生処瘴海而神観愈強,是知地之瘴者未必能死人,而能死人者常在乎仕瘴也。慮彼而不慮此,不亦左乎?故余具載其言,以為授官憚遠避難者之戒。
書き下し
昔人(せきじん)之官(しかん)を欲して其の地の瘴(しょう)を悪(にく)む者有り。或るひと之を釈(と)きて曰わく、「瘴の害を為すは、特(ただ)地のみに非ず、仕にも亦瘴有るなり。急かに催し暴(あら)く斂(あつ)め、下を剥(はく)して上に奉ずる、此れ租賦の瘴なり。文を深くして以て逞(たくま)しくし、良悪白(あき)らかならざる、此れ刑獄の瘴なり。民の利を侵牟(しんぼう)して以て私儲(ししょ)を実(み)たす、此れ貨財の瘴なり。金を攻め木を攻め、車服を崇(たか)く飾る、此れ工役の瘴なり。盛んに姫妾(きしょう)を揀(えら)び、以て声色を娯(たの)しむ、此れ帷薄(いはく)の瘴なり。一(ひと)つも此に有らば、遠邇(えんじ)を間(へだ)つる無く、民怨み神怒り、疾無き者も必ず疾有り、而して疾有る者は必ず死せん」と。昔元城劉先生(げんじょうりゅうせんせい)瘴海に処(お)りて神観愈(いよ)いよ強かりき、是れ地の瘴なる者は未だ必ずしも人を死せしむる能わずして、能く人を死せしむる者は常に仕の瘴に在るを知るなり。彼を慮りて此を慮らざるは、亦左(たが)わざらんや。故に余具(つぶ)さに其の言を載せ、以て官を授かりて遠きを憚り難きを避くる者の戒めと為す。
現代語訳
昔、地方官への赴任を望みながら、その土地の風土病(瘴気)を嫌う者がいた。ある人がこれを解いてこう言った。「風土病が人を害するのは、ただ土地だけの問題ではない。仕官にも風土病というものがある。性急に厳しく取り立て、下の者から搾り取って上に献上するのは、租税の風土病である。法文を過酷に運用してほしいままにし、善悪の判断があいまいなのは、刑罰・訴訟の風土病である。民の利益を侵し奪って私財を満たすのは、財貨の風土病である。金属や木を過剰に加工し、車馬や衣服を華美に飾り立てるのは、工事や労役の風土病である。盛んに側女を選び、声色の楽しみにふけるのは、私生活の風土病である。この中の一つでもあれば、遠近を問わず、民は怨み神は怒り、病気でない者も必ず病を得て、すでに病んでいる者は必ず死ぬだろう。」昔、元城の劉先生は風土病の地に身を置いても、精神はますます健やかであった。これによって、土地の風土病は必ずしも人を死なせるとは限らず、人を死なせるものは常に仕官における風土病にあることがわかる。あちらを心配してこちらを心配しないのは、見当違いではないか。だから私はその言葉をつぶさに記し、官職を授かりながら遠方を恐れ困難を避けようとする者への戒めとする。
解説
この章句が説くこと
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