弁名 / 王覇
若論治其國之道。則孔子所謂道之以政。齊之以刑。道之以德。齊之以禮。是文武桓文之辨也。然桓文時。先王之澤未斬。先王之禮尙存。其所用亦得人。故雖用政刑。亦非若申韓商鞅之比。祇其所以與先王殊者。乃在急功利之意勝。而不用禮樂也。孔子小管仲之器。亦是意已。
新字:若論治其国之道。則孔子所謂道之以政。斉之以刑。道之以徳。斉之以礼。是文武桓文之弁也。然桓文時。先王之沢未斬。先王之礼尚存。其所用亦得人。故雖用政刑。亦非若申韓商鞅之比。祇其所以与先王殊者。乃在急功利之意勝。而不用礼楽也。孔子小管仲之器。亦是意已。
書き下し
若し其の国を治むるの道を論ぜば、則ち孔子の所謂「之を道くに政を以てし、之を斉ふるに刑を以てす」、「之を道くに徳を以てし、之を斉ふるに礼を以てす」、是れ文武・桓文の辨なり。然れども桓文の時は、先王の沢未だ斬えず、先王の礼尚ほ存す。其の用ふる所も亦た人を得たり。故に政刑を用ふと雖も、亦た申韓・商鞅の比に非ず。祇だ其の先王と殊なる所以の者は、乃ち功利を急ぐの意勝ちて、礼楽を用ひざるに在り。孔子の管仲の器を小とするも、亦た是の意のみ。
現代語訳
もし国を治める道を論じるなら、孔子のいう「政令で導き、刑罰で整える」と「徳で導き、礼で整える」の違いが、文王・武王と桓公・文公の違いである。しかし桓公・文公の時代は、先王の恩沢がまだ絶えておらず、先王の礼もなお残っていた。彼らの用いた人材も適材であった。だから政令と刑罰を用いたといっても、申不害・韓非・商鞅(法家の人々)とは比べものにならない。ただ先王と違っていたのは、功利を急ぐ気持ちが勝って、礼楽を用いなかったことにある。孔子が「管仲の器は小さい」と言ったのも、この意味にすぎない。
解説
国の治め方で王と覇を分けるなら、孔子の「政刑で導くか、徳礼で導くか」の違いがそれだと徂徠は言う。ただ桓文の時代はまだ先王の礼が残り、人材も得ていたので、法家とは別物である。先王との違いは、功利を急いで礼楽を用いなかった点だけで、孔子の「管仲の器小なり」もその意味だという。成果を急ぐあまり、文化や育成という時間のかかる仕組みを後回しにする経営は、一時は栄えても長続きしない。その分かれ目を示す一則である。
この章句が説くこと
王覇礼楽功利管仲政刑孔子
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