万民徳用 / 商人日用・答後半
譬へは天をさして射る矢の、弓勢つきて地に落るがごとしといへり。然れは有漏の善根樂むべきにあらず。又無漏善といふは、是れ菩提の因緣也。夫れ菩提心といふは、諸行無常。是生滅法の理を觀察して、三界無安。猶如火宅の文に眼を着けて、有爲の境界に心を住めす、涅槃の妙樂を願ふを、無漏善といふなり。然れは賣買の作業、則ち無漏善となすべき願力を以て、幻化の理を守て信心をはげまし、此の身を世界に拋て、一筋に國土のため萬民のためとおもひ入て、自國の物を他國に移し、他國の物を我國に持來て、遠國遠里に入渡し、諸人の心に叶ふへしと誓願をなして、國々をめぐる事は、業障を盡すべき修行なりと心を着けて、山々を越えて身心を責め、大河小河を渡て心を淸め、漫々たる海上に船をうかぶる時は、此の身をすてゝ、念佛し、一生は唯浮世の旅なる事を觀じて、一切執着を捨て、欲をはなれ商せんには、諸天是れを守護し、神明利生を施して、得利もすぐれ、福德充滿の人となり、大福長者をいやしみて、終に勇猛堅固の大信心發つて、行住坐臥則ち禪定と成りて、自然に菩提心成熟して、涅槃の妙樂すなはち無碍大自在の人となりて、乾坤に獨步すへし。盡末來際の悅、何事か之に如かん哉。堅固に用ねよ用ねよ。願以此功德。普及於一切。我等與衆生。皆共成佛道。
新字:譬へは天をさして射る矢の、弓勢つきて地に落るがごとしといへり。然れは有漏の善根楽むべきにあらず。又無漏善といふは、是れ菩提の因縁也。夫れ菩提心といふは、諸行無常。是生滅法の理を観察して、三界無安。猶如火宅の文に眼を着けて、有為の境界に心を住めす、涅槃の妙楽を願ふを、無漏善といふなり。然れは売買の作業、則ち無漏善となすべき願力を以て、幻化の理を守て信心をはげまし、此の身を世界に抛て、一筋に国土のため万民のためとおもひ入て、自国の物を他国に移し、他国の物を我国に持来て、遠国遠里に入渡し、諸人の心に叶ふへしと誓願をなして、国々をめぐる事は、業障を尽すべき修行なりと心を着けて、山々を越えて身心を責め、大河小河を渡て心を清め、漫々たる海上に船をうかぶる時は、此の身をすてゝ、念仏し、一生は唯浮世の旅なる事を観じて、一切執着を捨て、欲をはなれ商せんには、諸天是れを守護し、神明利生を施して、得利もすぐれ、福徳充満の人となり、大福長者をいやしみて、終に勇猛堅固の大信心発つて、行住坐臥則ち禅定と成りて、自然に菩提心成熟して、涅槃の妙楽すなはち無碍大自在の人となりて、乾坤に独歩すへし。尽末来際の悦、何事か之に如かん哉。堅固に用ねよ用ねよ。願以此功徳。普及於一切。我等与衆生。皆共成仏道。
書き下し
譬へは天をさして射る矢の、弓勢つきて地に落るがごとしといへり。然れは有漏の善根楽むべきにあらず。又無漏善といふは、是れ菩提の因縁也。夫れ菩提心といふは、諸行無常。是生滅法の理を観察して、三界無安。猶如火宅の文に眼を着けて、有為の境界に心を住めす、涅槃の妙楽を願ふを、無漏善といふなり。然れは売買の作業、則ち無漏善となすべき願力を以て、幻化の理を守て信心をはげまし、此の身を世界に抛て、一筋に国土のため万民のためとおもひ入て、自国の物を他国に移し、他国の物を我国に持来て、遠国遠里に入渡し、諸人の心に叶ふへしと誓願をなして、国々をめぐる事は、業障を尽すべき修行なりと心を着けて、山々を越えて身心を責め、大河小河を渡て心を清め、漫々たる海上に船をうかぶる時は、此の身をすてゝ、念仏し、一生は唯浮世の旅なる事を観じて、一切執着を捨て、欲をはなれ商せんには、諸天是れを守護し、神明利生を施して、得利もすぐれ、福徳充満の人となり、大福長者をいやしみて、終に勇猛堅固の大信心発つて、行住坐臥則ち禅定と成りて、自然に菩提心成熟して、涅槃の妙楽すなはち無碍大自在の人となりて、乾坤に独歩すへし。尽末来際の悦、何事か之に如かん哉。堅固に用ねよ用ねよ。願以此功徳。普及於一切。我等与衆生。皆共成仏道。
現代語訳
たとえば、天に向けて射る矢が、弓の勢いが尽きて地に落ちるようなものだと言われている。だから有漏の善根を楽しんではならない。また無漏の善というのは、菩提の因縁である。そもそも菩提心とは、諸行無常、これ生滅の法という理を観察し、三界は安らぎがなく、あたかも火のついた家のようだ、という文に心を留めて、作為の境界に心を住めず、涅槃の妙なる楽を願うことを、無漏の善という。だから売買の仕事を、そのまま無漏の善とする願いの力をもって、幻の理を守って信心を励まし、この身を世界に投げ出して、ひとすじに国土のため、万民のためと思い入って、自国の物を他国に移し、他国の物を我が国に持って来て、遠い国や里にまで行き渡し、人々の心にかなおうと誓願して、国々をめぐることは、業障を尽くす修行であると心に留めて、山々を越えて身心を責め、大河小河を渡って心を清め、広々とした海上に船を浮かべる時は、この身を捨てて念仏し、一生はただ浮世の旅であることを観じて、一切の執着を捨て、欲を離れて商いをするならば、諸天がこれを守護し、神々が利益を施し、利益もすぐれ、福徳が満ちた人となり、大福長者をも賤しみ、ついには勇猛堅固の大信心が起こって、行住坐臥がそのまま禅定となり、自然に菩提心が成熟して、涅槃の妙楽、すなわち妨げのない大自在の人となって、天地の間を一人歩くであろう。未来永劫の喜びは、これに及ぶものがあるだろうか。堅固に実行せよ、実行せよ。願わくはこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、私たちと衆生が、皆ともに仏道を成就せんことを。
解説
この章句が説くこと
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万民徳用・商人日用・答前半答て云はく、売買をせん人は、先つ得利の增すべき心つかひを修行すべし、その心遣と云ふは、他の事にあらず、身命を天道に抛て、一筋に正直に道を学ぶへし。正直の人には、諸天のめぐみふかく、仏陀神明の加護有りて、災難を除き、自然に福をまし、衆人愛敬浅からずして、万事心に叶ふべし。私欲を専として、自他を隔て、人をぬきて得利を思ふ人には、天道のたゝりありて、禍をまし、万民のにくみをうけ、衆人愛敬なくして、万事心に叶ふへからす。貴賤上下、貧福得失、命の長短、皆是れ先世の因果なり。私に名聞利養を願ふとも、更にゆるし有るべからす。結句三悪道の業增長して、天道に背き、必すその科を蒙るへし。是れを恐れ慎みて、私欲の念をすて、此の売買の作業は、国中の自由をなさしむへき役人に、天道よりあたへたまふ所也と思ひ定めて、此の身は天道に任て、得利を思ふ念を休め、正直の旨を守て商せんには、火のかばけるにつき、水の下れるに随てなかるゝかごとく、天の福相応して、万事心に叶ふべし。然りと雖も、福徳を得て悦ぶべきにあらず、有漏の善根、無漏の善根といふ事あり。此の夢幻泡影の世界生滅の宝なき身を宝と定めて、常住の念はなれず、世界に専ら執着の念有りて善を行ふを、有漏の善根と名付けたり。有漏善は、福徳の因縁なり。有漏善を行ひて、高位福人と成りて、楽至極するとも、ろの因尽くる時節有りて、必す悪道に入るなり。
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万民徳用・商人日用・問商人問ふて云はく、たま〱人界に生を受るといへども、つたなき売買の業をなし、得利を思ふ念休む時なく、菩提にすゝむ事叶はす、無念の至なり。方便を垂れ給へ。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、善根に有漏無漏有る事を知るべし、我を忘れて作すを無漏善と云ひ、我為めを思ひ当来に代りを得んと思つて作すを有漏善と云ふ也。喩へば非人に物を施すに我後世の為めと思ふて施すは、有漏に酬ふ。亦只彼を憐み我を忘れて施すは無漏善也。然るに彼有漏善は後には大に怨と成る也。我を思つて作す善には咎有る事眼前の道理有り、譬へば人に念比をする者、皆我為めにする故に、其者後背く事有れば、我はよくせしに却りて背く抔と云ふて嗔り腹立つ也。然れは前の善心は消えて、後の嗔り地獄の業と成る也。亦我を忘れて人を念比する者は、其者後背く事有れとも、本より我為めにせぬによつて弥憐みてどこ迄も善也。是を以て知べき也。
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『十善法語』巻第五・不綺語戒商賈ノ中ニモ其道其楽ハアルベキシヤ。天地万物ヲ生スル。山海ニ其別アリ。風土ニ随テ互ニ有無多少アルシヤ。百工ノ器物ヲ造ルニモ。各其土地ニ随ヒ。其作業ニ随テ。種種差別ス。互ニ交易セザレハ其用塞ルシヤ。古ニ神農氏日中為市致ニ天下之民。聚天下之貨。交易而退トアル。是ニ由テ知レ。交易モ聖賢ノ道ナルベキジヤ。地気上テ雲霧トナル。雨露降テ草木生育ス。目足相助ケ。左右相救フ。古ニ日月相推而明生焉ト云。寒暑相推而歳成焉ト云。万事ミナカクノ如ク。万物ミナカクノ如クジヤ。此交易シテ有無ヲ通スル。其道ノアルベキジヤ。
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万民徳用・職人日用・答答て云はく、何の事業も、皆仏行なり。人々の所作の上においては成仏したまふへし。仏行の外なる作業有るべからず。一切の所作、皆以て世界のためとなる事を以てしるへし。仏体をうけ、仏性そなはりたる人間、意得あしくして、好て悪道に入ることなかれ。本覚真如の一仏、百億分身して世界を利益したまふなり。鍛冶、番匠をはじめ、諸職人なくしては、世界の用所調ふべからず。武士なくして、世治るへからず。農人なくして、世界の食物あるべからず。商人なくして、世界の自由なるべからず。此の外所有事業出来て、世のためとなる。天地をさたじたる人もあり、文字を造出したる人も有り、五臓を分けて医道を施す人もあり、其の品々限なく出て、世のためとなるといへども、唯是れ一仏の徳用なり。如此ありかたき仏性を人々具足すといへ共、この理をしらずして、我と此の身を賤しくなし、悪心悪業を専として、好て悪道に入るを迷の凡夫とはいふなり。三世の諸仏出世ありて、衆生則ち仏なる事を直にしめしたまへり。眼に色を見、耳に声を聞き、鼻に香をかぎ、口に物を云つて、思ふ事の自由をなす、手の自由、足の自由、唯是れ一仏の自由なり。去る間、後世を願ふといふは、我身を信ずるを本意とす。誠に成仏を願ふ人ならば、唯自身を信ずべし。自身を信ずるといふは、自身則ち仏なれは、仏の心を信すへし。仏に欲心なし、仏の心に嗔恚なし、仏の心に愚痴なし、仏の心に生死なし、仏の心に是非なし、仏の心に煩悩なし、仏の心に悪事なし、如此の理を信せずして、私に貪欲を作出し嗔恚を発し、愚痴に住在して、日々夜々、我執我慢、邪見妄想を主として、彼に従て苦痛悩乱の心休む時なく、本有の自性を失て、一生空しく大地獄を造堅めて、未来永劫すみかとせん事、かなしまざるべけんや。是れを恐れ是れをなげきて、一大事のこゝろざしをはげまし、万念を放下して、所作所為の上に就て、切に急に真実勇猛の念仏を以て、自己の真仏を信仰せは、気の熟するに従て、自然に誠の心至極して、終に信得し究る時、覚ゑす無我無人無住所の境に入て、自己の真仏顕然たるべし。一筋に信仰せよ信仰せよ。
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『十善法語』巻第五・不綺語戒ヨク交易スル者ハ。財利善根ト共ニ成スル。上君ニ事ル。父母ニ事フル。下妻子眷属ノ恵ミ。子孫ノ教導。ミナ此中ニ立ルシヤ。大人言ヲ寄ス。僕従奔走ス。時ニ当テハ枯骨ニ皮肉ヲ生スル。大抵如法ニ得。如法ニ積テ如法ニ用レハ。商賈タル者ノ天命全キシヤ。四分ノ一ヲ貯ヘ守ルハ。仏説ノアル処シヤ。支那ニ陶朱公カ越ニ功ヲ成シテ。ソノ位ニ居ラス。斉ニ往キ。陶ニ住テ。家ニ万金ヲ累ネ。隣里郷党ヲ賑ハス。聖教ノ中ニハ。鼠金長者カ亡父ノ命ヲ守テ家ヲ興ス。円満長者カ兄ノ家ヲ富シテ。後出家セシ。須達長者善生長者ノ類財ヲ以テ無上道ノ基本トナス。ミナ面白カルベキコトシヤ。此財アツテ此楽アルハ。糸竹管絃ノ及トコロ。狂言綺語ノ及トコロニハアルマシキシヤ。
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