幽夢影 / 巻下・詩も亦必ずしも窮を待ちて後に工ならず
古人云:「詩必窮而後工」。蓋窮則語多感慨,易於見長耳。若富貴中人,既不可憂貧歎賤,所談者不過風雲月露而已,詩安得佳?苟思所變,計惟有出遊一法,即以所見之山川風土物產人情,或當瘡痍兵燹之餘,或值旱潦災祲之後,無一不可寓之詩中,藉他人之窮愁,以供我之詠歎,則詩亦不必待窮而後工也。
新字:古人云:「詩必窮而後工」。蓋窮則語多感慨,易於見長耳。若富貴中人,既不可憂貧嘆賤,所談者不過風雲月露而已,詩安得佳?苟思所変,計惟有出遊一法,即以所見之山川風土物産人情,或当瘡痍兵燹之余,或値旱潦災祲之後,無一不可寓之詩中,藉他人之窮愁,以供我之詠嘆,則詩亦不必待窮而後工也。
書き下し
古人云ふ、「詩は必ず窮して後に工なり」と。蓋し窮すれば則ち語に感慨多く、長を見はし易きのみ。富貴中の人の若きは、既に貧を憂へ賤を歎くべからず、談ずる所の者は風雲月露に過ぎざるのみ、詩安んぞ佳なるを得ん。苟も變ずる所を思はば、計るに惟だ出遊の一法有るのみ。即ち見る所の山川・風土・物產・人情を以て、或は瘡痍兵燹の餘に當り、或は旱潦災祲の後に値ふ、一として之を詩中に寓すべからざるは無し。他人の窮愁を藉りて、以て我の詠歎に供すれば、則ち詩も亦必ずしも窮を待ちて後に工ならざるなり。
現代語訳
古人は「詩は必ず困窮してはじめてうまくなる」と言いました。思うに、困窮すると言葉に感慨がこもり、長所が表れやすいからにすぎません。富貴の中にいる人は、貧しさを憂えたり身分の低さを嘆いたりするわけにもいかず、語ることといえば風や雲、月や露くらいのものですから、どうしてよい詩ができましょうか。もし変わりたいと思うなら、方法はただ一つ、旅に出ることしかありません。見聞きする山川、風土、産物、人情について、戦乱で傷つき焼かれたあとに出会うこともあれば、日照りや洪水、災害のあとに出くわすこともあります。そのどれ一つとして、詩の中に託せないものはありません。他人の困窮と憂いを借りて、自分の詠嘆の材料とするなら、詩もまた必ずしも困窮を待ってからうまくなるわけではないのです。
解説
この章句が説くこと
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