呂氏春秋 / 誣徒③
善教者則不然,視徒如己。反己以教,則得教之情也。所加於人,必可行於己,若此則師徒同體。人之情,愛同於己者,譽同於己者,助同於己者,學業之章明也,道術之大行也,從此生矣。
新字:善教者則不然,視徒如己。反己以教,則得教之情也。所加於人,必可行於己,若此則師徒同体。人之情,愛同於己者,誉同於己者,助同於己者,学業之章明也,道術之大行也,従此生矣。
書き下し
善く教うる者は則ち然らず。徒を視ること己の如く、己に反して以て教うれば、則ち教えの情を得るなり。人に加うる所、必ず己に行う可し。此くの若くなれば則ち師徒體を同じくす。人の情は、己に同じき者を愛し、己に同じき者を譽め、己に同じき者を助く。學業の章明なるや、道術の大行なるや、此れ從り生ず。
現代語訳
よく教える師はそうではない。弟子を自分自身のように見て、自分に立ち返って教えれば、教えることの本質を得られる。人に課すことは、必ず自分にも行えることでなければならない。こうであれば師と弟子は一体となる。人の心情として、自分と同じ者を愛し、同じ者をほめ、同じ者を助ける。学業が明らかに輝き、学問の道が大いに行われるのは、ここから生じるのである。
解説
この段は、前段の悪しき師と対比して、優れた師のあり方を簡潔に示します。弟子を自分自身のように見なし、自分に立ち返って考えて教えること、人に求めることは必ず自分にも実行できることに限る、というのが要点です。そうすれば師と弟子は一体となり、人は自分と同じ者を愛し助けるという心情によって、学業も学問の道も大いに栄えると述べます。背景には、教育を一方的な指導ではなく、相手の立場に身を置く共感と自己反省の営みと見る考えがあります。「己の欲せざる所は人に施すことなかれ」に通じる発想です。現代でも、相手の立場に立ち、自らも実践できることだけを求める指導が信頼を生むという、教育やマネジメントの要諦として読むことができます。
この章句が説くこと
誣徒善師共感反己師徒同体教育の要諦
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