幽夢影 / 巻下・罪無くして虛しく惡名を受くる者
無其罪而虛受惡名者,蠹魚也(蛀書之蟲,另是一種,其形如蠶蛹而差小);有其罪而恒逃淸議者,蜘蛛也。
新字:無其罪而虚受悪名者,蠹魚也(蛀書之虫,另是一種,其形如蠶蛹而差小);有其罪而恒逃清議者,蜘蛛也。
書き下し
其の罪無くして虛しく惡名を受くる者は、蠹魚なり(書を蛀むの蟲は、另に是れ一種、其の形蠶蛹の如くして差や小なり)。其の罪有りて恒に淸議を逃るる者は、蜘蛛なり。
現代語訳
罪がないのに、いわれのない悪名を着せられているのは紙魚です(本に穴をあける虫は別の種類で、その形は蚕のさなぎに似て、やや小さいものです)。罪がありながら、いつも世間の批判を免れているのは蜘蛛です。
解説
虫の評判と実際の行いの食い違いを指摘した、裁判官のような一則です。紙魚は本を食い荒らす虫として嫌われますが、張潮は自注で、本に穴をあける真犯人は、蚕のさなぎのような形をした別の虫だと弁護しています。一方、蜘蛛は網を張って虫を捕らえて殺すのに、人から責められることはあまりありません。清議は世間の公正な批評のことです。友人の張竹坡は「さすが老練な役人の裁きだ」と評し、李若金は「私は蜘蛛の巣を払う論を書いたことがあるから、蜘蛛を責める者がいないわけではない」と応じています。世の評判は必ずしも事実に基づかないという教訓は、人の噂を聞くときにも心に留めておきたいものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
評判冤罪公正観察諧謔
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