幽夢影 / 巻下・文人は好んで富人を鄙薄す
文人每好鄙薄富人,然於詩文之佳者,又往往以金玉珠璣錦繡譽之,則又何也?
新字:文人毎好鄙薄富人,然於詩文之佳者,又往往以金玉珠璣錦繍誉之,則又何也?
書き下し
文人は每に好んで富人を鄙薄す、然れども詩文の佳なる者に於ては、又往往にして金玉珠璣錦繡を以て之を譽む、則ち又何ぞや。
現代語訳
文人はいつも好んで金持ちを見下します。ところが、すぐれた詩文については、しばしば金や玉、真珠や錦の織物にたとえてほめたたえます。これはまたどういうわけでしょうか。
解説
文人の言葉に潜む矛盾を、張潮自身が文人でありながら突いてみせた一則です。文人は清貧を誇り、財産を持つ者を俗物として軽んじがちでした。ところが、よい文章をほめるときには、珠玉の名文、錦繡の文章というように、富の象徴である宝物を持ち出します。口では富を軽蔑しながら、心の底では富の価値を認めているのではないかというわけです。友人の江含徴は「金持ちが嫌われるのはけちで俗だからで、宝そのものが嫌われるのではない」と答え、張竹坡は「文がなければ貧しくても卑しく、文があれば富んでいても敬うべきだ」と言っています。自分の言葉づかいに、隠れた本音が出ていないか見直したくなる一則です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
清貧富文人矛盾見方
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『家道訓』巻之四・用財上一人もし富貴にして、たからを多く貯へもたば、是天より我一人にあつくし給ふにあらず、多く人をすくはしめんために、我にさづけたまふとおもひて、天命にしたがひて、つねに仁愛の心をもちて、貧苦なる人をめぐみ、飢饉する者をすくひて、善を行ふを以て楽とすべし。是天の御心にそむかざるなり。斯くのごとくならば、富貴なるかひありて、大なる楽なるべし。財を多くもちても、我が身ひとりの俸養におごり、人にほどこさずして善を行はざるは、無用の物なり。石瓦を多くもてるに同じ。かかる人を守銭虜と古人の云ひけんもむべなり。財をもてるかひなくして、貧賤の人と同じ。一財を用ふる道をしらで貧窮なれば、父母をやしなふにうすく、人に与ふべき物をあたへず、人を恵むことなりがたく、人のおひめをかへさず、廉恥の道行はれがたく、人の恵を受けてむくいず。官となりても、貧なれば民をむさぼりやすく、忠義をつとめがたし。礼義にそむき、心術に害あること、皆是困窮よりおこる。困窮は倹約ならざるよりおこれり。然る故に、倹約は家ををさむる要道なり。
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論語・述而篇子曰く、富にして求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従わん。
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論語・季氏篇斉の景公、馬千駟有り。死するの日、民徳として称する無し。伯夷・叔斉、首陽の下に餓う。民今に到るまで之を称す。其れ斯を之謂うか。
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『武士道』第七章 至誠信實・富の道は名誉の道に非ず然るに聞く、米国の如き実業国に於てすら、実業家中、十の八は破産せざるなしと。されば士族の商業の能く成功したるもの、百人にして一人を算ふるも、亦た敢て驚くに足らず。要するに武士道の道義を商業に施さんと欲して、為に蕩尽したる財産の数量は、殆ど計るべからざるものあらん。識見ある士人の、直ちに富の道は名誉の道に非ざるを認めたるも、亦た宜なりと謂ふべし。この二者の道の由つて岐るる処は、果していづれにありや。レッキーがかつて誠実の誘因として挙げたる実業、政治、哲学の三者中、其一は武士道全く之を欠き、其二は封建制度の政治社会に在りて、殆ど此れが発達を見ること能はざりき。而して誠実信義の徳の、士林の道徳範囲に於て其重きをなすに至りたる所以は、其哲学的誘因に由れるものにして、即ちレッキーの所謂、至高の形態に於て発達したるものなり。
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『酔古堂剣掃』集綺・韓嫣の金彈韓嫣の金彈は、饑寒の人の多少の奔馳を誤らしめ、 潘嶽の果車は、少年の人の多少の顏色を增す。
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『都鄙問答』卷之一・商人ノ道ヲ問ノ段且つ天下の財宝を通用して、万民の心をやすむるなれば、天地四時流行し、万物育はるると同じく相合はん。此の如くして、富山の如くに至るとも、欲心とはいふべからず。欲心なくして、一銭の費えを惜しみ、青砥左衛門が、五十銭を散じて、十銭を、天下の為に惜しまれし心を味はふべし。此の如くならば、天下公の倹約にもかなひ、天命に合うて福を得べし。福を得て、万民の心を安んずるなれば、天下の百姓といふものにて、常に天下大平を祈るに同じ。且つ御法を守り、我が身を敬むべし。商人といふとも、聖人の道を知らずば、同じ金銀を設けながら、不義の金銀を設け、子孫の絶ゆる理に至るべし。実に子孫を愛せば、道を学びて栄ゆることを致すべし。