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幽夢影 / 巻下・人每に樂しんで癡愚拙狂に居る

曰「癡」、曰「愚」、曰「拙」、曰「狂」,皆非好字面,而人每樂居之;曰「姦」、曰「黠」、曰「強」、曰「佞」,反是,而人每不樂居之,何也?

新字:曰「痴」、曰「愚」、曰「拙」、曰「狂」,皆非好字面,而人毎楽居之;曰「姦」、曰「黠」、曰「強」、曰「佞」,反是,而人毎不楽居之,何也?

書き下し

「癡」と曰ひ、「愚」と曰ひ、「拙」と曰ひ、「狂」と曰ふは、皆好き字面に非ず、而るに人每に樂しんで之に居る。「姦」と曰ひ、「黠」と曰ひ、「強」と曰ひ、「佞」と曰ふは、是に反す、而るに人每に之に居るを樂しまざるは、何ぞや。

現代語訳

「癡」「愚」「拙」「狂」は、どれもよい意味の字ではないのに、人はいつも好んでこれを自分の呼び名にします。「姦」「黠」「強」「佞」はその反対の字なのに、人はいつもこれを名のることを好みません。なぜでしょうか。

解説

言葉の上の評価と、人が好んで名のる字との食い違いに目を留めた一則です。癡・愚・拙・狂は、ばか、おろか、不器用、常軌を外れたという意味ですが、文人は癡翁、愚公、拙斎、狂生などと好んで号に用いました。そこには、世渡りのうまさを捨てた純粋さへの誇りがあります。反対に、姦・黠・強・佞は、ずる賢い、抜け目ない、押しが強い、口先がうまいという、いわば世渡り上手の字ですが、誰も名のりたがりません。友人の江含徴は「その名を持つ者はその実を持たず、その実を持つ者はその名を避ける」と鋭く答えています。謙遜の言葉の陰に、別の誇りが隠れていることを見抜いた観察です。

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