幽夢影 / 巻上・花を藝ゑて以て蝶を邀ふ
藝花可以邀蝶,纍石可以邀雲,栽松可以邀風,貯水可以邀萍,築臺可以邀月,種蕉可以邀雨,植柳可以邀蟬。
新字:芸花可以邀蝶,纍石可以邀雲,栽松可以邀風,貯水可以邀萍,築台可以邀月,種蕉可以邀雨,植柳可以邀蝉。
書き下し
花を藝ゑれば以て蝶を邀ふべし、石を纍ぬれば以て雲を邀ふべし、松を栽うれば以て風を邀ふべし、水を貯ふれば以て萍を邀ふべし、臺を築けば以て月を邀ふべし、蕉を種うれば以て雨を邀ふべし、柳を植うれば以て蟬を邀ふべし。
現代語訳
花を植えれば蝶を招くことができます。石を積み重ねれば雲を招くことができます。松を植えれば風を招くことができます。水をためれば浮草を招くことができます。台を築けば月を招くことができます。芭蕉を植えれば雨を招くことができます。柳を植えれば蟬を招くことができます。
解説
庭づくりを通して自然の客を招く七つの工夫を並べた一則です。花には蝶が、積んだ石には雲が、松には風の音が、池には浮草が、高台には月が寄ってきます。芭蕉は大きな葉に雨音を響かせ、柳には蟬が止まって鳴きます。こちらが舞台を整えれば、あとは向こうからやって来るという発想です。友人の曹秋岳は書物を蔵すれば友を招けると言い、陸雲士は徳を積めば天を招けるが、それは名利を招くのとはまるで違うと評しています。成果を直接追いかけるより、それが自然に集まる環境を整えるほうがうまくいくことは、仕事や人づくりにも多いものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
自然風雅閑適庭園環境
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