維摩経 / 弟子品第三(4)
佛告須菩提。汝行詣維摩詰問疾。須菩提白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔入其舍從乞食。時維摩詰取我鉢盛滿飯。謂我言。唯須菩提。若能於食等者諸法亦等。諸法等者於食亦等。如是行乞乃可取食。若須菩提。不斷婬怒癡亦不與俱。不壞於身而隨一相。不滅癡愛起於明脫。以五逆相而得解脫。亦不解不縛。不見四諦非不見諦。非得果非不得果。非凡夫非離凡夫法。非聖人非不聖人。雖成就一切法而離諸法相。乃可取食。若須菩提。不見佛不聞法。彼外道六師。富蘭那迦葉。末伽梨拘賒梨子。刪闍夜毘羅胝子。阿耆多翅舍欽婆羅。迦羅鳩馱迦旃延。尼犍陀若提子等。是汝之師因其出家。彼師所墮汝亦隨墮。乃可取食。若須菩提。
新字:仏告須菩提。汝行詣維摩詰問疾。須菩提白仏言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔入其舎従乞食。時維摩詰取我鉢盛満飯。謂我言。唯須菩提。若能於食等者諸法亦等。諸法等者於食亦等。如是行乞乃可取食。若須菩提。不断婬怒痴亦不与倶。不壊於身而随一相。不滅痴愛起於明脱。以五逆相而得解脱。亦不解不縛。不見四諦非不見諦。非得果非不得果。非凡夫非離凡夫法。非聖人非不聖人。雖成就一切法而離諸法相。乃可取食。若須菩提。不見仏不聞法。彼外道六師。富蘭那迦葉。末伽梨拘賒梨子。刪闍夜毘羅胝子。阿耆多翅舎欽婆羅。迦羅鳩馱迦旃延。尼犍陀若提子等。是汝之師因其出家。彼師所堕汝亦随堕。乃可取食。若須菩提。
書き下し
仏、須菩提に告げたまわく、汝、行きて維摩詰に詣り疾を問え。須菩提、仏に白して言さく、世尊、我、彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに、我、昔、其の舎に入りて乞食せし時、維摩詰、我が鉢を取りて飯を盛り満たし、我に謂いて言わく、唯、須菩提、若し能く食に於て等しき者は諸法も亦た等し、諸法等しき者は食に於ても亦た等し。是くの如く行乞して乃ち食を取るべし。若し須菩提、婬・怒・癡を断ぜず、亦た与に俱せず、身を壊せずして一相に随い、癡愛を滅せずして明脱を起こし、五逆の相を以て解脱を得、亦た解せず縛せず、四諦を見ず、諦を見ざるに非ず、果を得るに非ず果を得ざるに非ず、凡夫に非ず凡夫の法を離るるに非ず、聖人に非ず聖人ならざるに非ず、一切の法を成就すと雖も諸法の相を離れば、乃ち食を取るべし。若し須菩提、仏を見ず法を聞かず、彼の外道の六師、富蘭那迦葉・末伽梨拘賒梨子・刪闍夜毘羅胝子・阿耆多翅舎欽婆羅・迦羅鳩馱迦旃延・尼犍陀若提子等は、是れ汝の師なり、其れに因りて出家し、彼の師の堕つる所には汝も亦た随いて堕ちば、乃ち食を取るべし。若し須菩提、
現代語訳
仏は須菩提に言われました。あなたは行って、維摩詰を見舞いなさい。須菩提は仏に申し上げました。世尊、私は彼のもとへ行って見舞うことに堪えません。なぜなら、思い起こせば、私が昔、彼の家に入って食を乞うたとき、維摩詰は私の鉢を取って飯をいっぱいに盛り、私にこう言ったからです。須菩提さん、もし食に対して平等でいられるなら、諸法に対しても平等であり、諸法に対して平等であるなら、食に対しても平等です。このように托鉢をして、はじめて食を取ることができます。須菩提さん、もし、淫欲、怒り、愚かさを断たず、かといってそれと一緒にもならず、身を壊さずに一つの相に従い、愚かさと愛着を滅ぼさずに明らかな解脱を起こし、五逆の相のままで解脱を得、そして解脱もせず縛られもせず、四諦を見ず、しかし諦を見ないのでもなく、果を得たのでもなく果を得ないのでもなく、凡夫でもなく凡夫の法を離れたのでもなく、聖人でもなく聖人でないのでもなく、あらゆる法を成就しながら諸法の相を離れるなら、そのとき食を取ることができます。須菩提さん、もし、仏を見ず法を聞かず、あの外道の六師、富蘭那迦葉、末伽梨拘賒梨子、刪闍夜毘羅胝子、阿耆多翅舎欽婆羅、迦羅鳩馱迦旃延、尼犍陀若提子たちがあなたの師であり、彼らに従って出家して、彼らの師が堕ちるところに、あなたも一緒に堕ちるのであれば、そのとき食を取ることができます。さらにまた、須菩提さん、
解説

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維摩経・弟子品第三(3)仏、大迦葉に告げたまわく、汝、行きて維摩詰に詣り疾を問え。迦葉、仏に白して言さく、世尊、我、彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに、我、昔、貧里に於て行乞せし時、維摩詰来たりて我に謂いて言わく、唯、大迦葉、慈悲心有れども普からざること能わず、豪富を捨てて貧に従いて乞う。迦葉、平等の法に住して、応に次第に行乞すべし。食せざるが為の故に応に行乞すべし。和合の相を壊さんが為の故に応に揣食を取るべし。受けざるが為の故に応に彼の食を受くべし。空聚の想を以て聚落に入れ。見る所の色は盲と等しく、聞く所の声は響と等しく、嗅ぐ所の香は風と等しく、食する所の味は分別せず、諸触を受くること智の証するが如くせよ。諸法は幻の相の如く、自性無く他性無く、本より自ら然えず今則ち滅無きを知れ。迦葉、若し能く八邪を捨てずして八解脱に入り、邪相を以て正法に入り、一食を以て一切に施し、諸仏及び衆の賢聖を供養して、然して後に食すべし。是くの如く食する者は、煩悩有るに非ず、煩悩を離るるに非ず、定意に入るに非ず、定意を起つに非ず、世間に住するに非ず、涅槃に住するに非ず。其の施す者有るも、大福無く小福無し。益と為さず、損と為さず。是れを正しく仏道に入り、声聞に依らずと為す。迦葉、若し是くの如く食せば、空しからず人の施しを食すと為す。時に我、世尊、是の語を聞きて未曾有を得、即ち一切の菩薩に於て深く敬心を起こし、復た是の念を作す、斯の有家の名、辯才・智慧、乃ち能く是くの如し、其れ誰か此れを聞きて阿耨多羅三藐三菩提心を発さざらん、と。我、是れより来、復た人に勧むるに声聞・辟支仏の行を以てせず。是の故に彼に詣りて疾を問うに任せず。
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維摩経・弟子品第三(5)諸の邪見に入りて彼岸に到らず、八難に住して無難を得ず、煩悩に同じて清浄の法を離れ、汝、無諍三昧を得、一切衆生も亦た是の定を得、其れ汝に施す者を福田と名づけず、汝を供養する者は三悪道に堕し、衆魔と共に一手と為りて諸の労侶を作し、汝と衆魔及び諸の塵労とは等しくして異なること有ること無く、一切衆生に於て怨心有り、諸仏を謗り法を毀りて衆数に入らず、終に滅度を得ず。汝、若し是くの如くなれば、乃ち食を取るべし。時に我、世尊、此の語を聞きて茫然として是れ何の言なるかを識らず、何を以て答うるかを知らず、便ち鉢を置きて其の舎を出でんと欲す。維摩詰の言わく、唯、須菩提、鉢を取りて懼るること勿れ。意に於て云何。如来の作る所の化人、若し是の事を以て詰めば、寧ろ懼るること有らんや。我が言わく、不なり。維摩詰の言わく、一切の諸法は幻化の相の如し。汝、今、応に懼るること有るべからず。所以は何ん。一切の言説は是の相を離れず。智者に至りては文字に著せず、故に懼るる所無し。何を以ての故に。文字の性は離れて文字有ること無し。是れ則ち解脱なり。解脱の相とは則ち諸法なり。維摩詰、是の法を説きし時、二百の天子、法眼浄を得たり。故に我、彼に詣りて疾を問うに任せず。
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維摩経・弟子品第三(6)仏、富楼那弥多羅尼子に告げたまわく、汝、行きて維摩詰に詣り疾を問え。富楼那、仏に白して言さく、世尊、我、彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに、我、昔、大林の中の一樹の下に在りて、諸の新学の比丘の為に法を説きし時、維摩詰来たりて我に謂いて言わく、唯、富楼那、先ず当に定に入りて此の人の心を観じ、然して後に法を説くべし。穢食を以て宝器に置くこと無かれ。当に知るべし、是の比丘の心の念ずる所を。琉璃を以て彼の水精に同じくすること無かれ。汝、衆生の根源を知ること能わず。発起するに小乗の法を以てすること無かれ。彼、自ら瘡無し、之を傷つくること勿れ。大道を行ぜんと欲する者に小径を示すこと莫かれ。大海を以て牛跡に内るること無かれ。日光を以て彼の蛍火に等しくすること無かれ。富楼那、此の比丘は久しく大乗心を発せるに、中ごろ此の意を忘れたり。如何ぞ小乗の法を以て之を教導せんや。我、小乗の智慧を観るに微浅なること猶お盲人の如し。一切衆生の根の利鈍を分別すること能わず。時に維摩詰、即ち三昧に入り、此の比丘をして自ら宿命を識らしむ。曾て五百の仏の所に於て衆の徳本を植え、阿耨多羅三藐三菩提に廻向せしを。即時に豁然として還た本心を得たり。是に於て諸の比丘、稽首して維摩詰の足を礼す。時に維摩詰、因りて為に法を説き、阿耨多羅三藐三菩提に於て復た退転せず。我、念うに、声聞は人の根を観ずんば法を説くべからず。是の故に彼に詣りて疾を問うに任せず。
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維摩経・弟子品第三(1)爾の時、長者維摩詰、自ら念う、床に寝疾す、世尊は大慈にして寧ろ愍みを垂れたまわざらんや、と。仏、其の意を知りて、即ち舎利弗に告げたまわく、汝、行きて維摩詰に詣り疾を問え。舎利弗、仏に白して言さく、世尊、我、彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに、我、昔曾て林中の樹下に宴坐せし時、維摩詰来たりて我に謂いて言わく、唯、舎利弗、必ずしも是れ坐するを宴坐と為さざるなり。夫れ宴坐とは、三界に於て身意を現ぜざる、是を宴坐と為す。滅定を起たずして諸の威儀を現ずる、是を宴坐と為す。道法を捨てずして凡夫の事を現ずる、是を宴坐と為す。心、内に住せず亦た外に在らざる、是を宴坐と為す。諸見に於て動ぜずして三十七品を修行する、是を宴坐と為す。煩悩を断ぜずして涅槃に入る、是を宴坐と為す。若し能く是くの如く坐する者は、仏の印可したまう所なり、と。時に我、世尊、是の語を聞きて、黙然として止み、加報すること能わざりき。故に我、彼に詣りて疾を問うに任せず。
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維摩経・弟子品第三(2)仏、大目犍連に告げたまわく、汝、行きて維摩詰に詣り疾を問え。目連、仏に白して言さく、世尊、我、彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに、我、昔、毘耶離大城に入り、里巷の中にて諸の居士の為に法を説きし時、維摩詰来たりて我に謂いて言わく、唯、大目連、白衣・居士の為に法を説くに、当に仁者の説く所の如くなるべからず。夫れ法を説く者は、当に法の如く説くべし。法に衆生無し、衆生の垢を離るるが故に。法に我有ること無し、我の垢を離るるが故に。法に寿命無し、生死を離るるが故に。法に人有ること無し、前後際断ずるが故に。法は常に寂然なり、諸相を滅するが故に。法は相を離る、所縁無きが故に。法に名字無し、言語断ゆるが故に。法に説有ること無し、覚観を離るるが故に。法に形相無し、虚空の如きが故に。法に戯論無し、畢竟空なるが故に。法に我所無し、我所を離るるが故に。法に分別無し、諸識を離るるが故に。法に比有ること無し、相待無きが故に。法は因に属せず、縁に在らざるが故に。法は法性に同じ、諸法に入るが故に。法は如に随う、随う所無きが故に。法は実際に住す、諸辺動ぜざるが故に。法に動揺無し、六塵に依らざるが故に。法に去来無し、常に住せざるが故に。法は空に順じ、無相に随い、無作に応ず。法は好醜を離る。法に増損無し。法に生滅無し。法に帰する所無し。法は眼耳鼻舌身心を過ぐ。法に高下無し。法は常住して動かず。法は一切の観行を離る。唯、大目連、法相是くの如し、豈に説くべけんや。夫れ法を説く者は、説くこと無く示すこと無く、其の法を聴く者は、聞くこと無く得ること無し。譬えば幻士の幻人の為に法を説くが如し。当に是の意を建てて法を為に説くべし。当に衆生の根に利鈍有るを了し、善く知見して罣礙する所無く、大悲心を以て大乗を讃え、仏恩に報ぜんことを念じて三宝を断たず、然して後に法を説くべし。維摩詰、是の法を説きし時、八百の居士、阿耨多羅三藐三菩提心を発す。我、此の辯無し。是の故に彼に詣りて疾を問うに任せず。
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維摩経・弟子品第三(9)仏、羅睺羅に告げたまわく、「汝、行きて維摩詰に詣りて疾を問え」と。羅睺羅、仏に白して言さく、「世尊、我は彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに昔時、毘耶離の諸の長者の子、来たりて我が所に詣り、稽首作礼して我に問いて言わく、『唯、羅睺羅よ、汝は仏の子にして、転輪王の位を捨てて出家して道を為す。其の出家なる者、何等の利有りや』と。我即ち法の如く、為に出家の功徳の利を説く。時に維摩詰来たりて我に謂いて言わく、『唯、羅睺羅よ、応に出家の功徳の利を説くべからず。所以は何ん。利無く功徳無き、是れを出家と為す。有為の法は、利有り功徳有りと説くべし。夫れ出家とは無為の法の為なり。無為の法の中には利無く功徳無し。羅睺羅よ、出家とは、彼無く此れ無く、亦中間無し。六十二見を離れて涅槃に処る。智者の受くる所、聖の行ずる処なり。衆魔を降伏して五道を度り、五眼を浄め、五力を得、五根を立つ。彼を悩まさず。衆の雑悪を離れ、諸の外道を摧き、仮名を超越して淤泥を出で、繋著無く我所無く、所受無く擾乱無し。内に喜びを懐きて彼の意を護り、禅定に随いて衆の過ちを離る。若し能く是の如くならば、是れ真の出家なり』と。是に於いて維摩詰、諸の長者の子に語る、『汝ら、正法の中に於いて宜しく共に出家すべし。所以は何ん。仏世は値い難し』と。諸の長者の子言わく、『居士よ、我れ仏の言うを聞く、父母聴さざれば出家することを得ず、と』。維摩詰言わく、『然り。汝ら便ち阿耨多羅三藐三菩提心を発せ。是れ即ち出家なり、是れ即ち具足なり』と。爾の時、三十二の長者の子、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。