維摩経 / 弟子品第三(5)
入諸邪見不到彼岸。住於八難不得無難。同於煩惱離清淨法。汝得無諍三昧。一切眾生亦得是定。其施汝者不名福田。供養汝者墮三惡道。為與眾魔共一手作諸勞侶。汝與眾魔及諸塵勞等無有異。於一切眾生而有怨心。謗諸佛毀於法不入眾數。終不得滅度。汝若如是乃可取食。時我世尊。聞此語茫然不識是何言。不知以何答。便置鉢欲出其舍。維摩詰言。唯須菩提取鉢勿懼。於意云何。如來所作化人。若以是事詰。寧有懼不。我言。不也。維摩詰言。一切諸法如幻化相。汝今不應有所懼也。所以者何。一切言說不離是相。至於智者不著文字故無所懼。何以故。文字性離無有文字。是則解脫。解脫相者則諸法也。維摩詰說是法時。二百天子得法眼淨。故我不任詣彼問疾。
新字:入諸邪見不到彼岸。住於八難不得無難。同於煩悩離清浄法。汝得無諍三昧。一切衆生亦得是定。其施汝者不名福田。供養汝者堕三悪道。為与衆魔共一手作諸労侶。汝与衆魔及諸塵労等無有異。於一切衆生而有怨心。謗諸仏毀於法不入衆数。終不得滅度。汝若如是乃可取食。時我世尊。聞此語茫然不識是何言。不知以何答。便置鉢欲出其舎。維摩詰言。唯須菩提取鉢勿懼。於意云何。如来所作化人。若以是事詰。寧有懼不。我言。不也。維摩詰言。一切諸法如幻化相。汝今不応有所懼也。所以者何。一切言説不離是相。至於智者不著文字故無所懼。何以故。文字性離無有文字。是則解脱。解脱相者則諸法也。維摩詰説是法時。二百天子得法眼浄。故我不任詣彼問疾。
書き下し
諸の邪見に入りて彼岸に到らず、八難に住して無難を得ず、煩悩に同じて清浄の法を離れ、汝、無諍三昧を得、一切衆生も亦た是の定を得、其れ汝に施す者を福田と名づけず、汝を供養する者は三悪道に堕し、衆魔と共に一手と為りて諸の労侶を作し、汝と衆魔及び諸の塵労とは等しくして異なること有ること無く、一切衆生に於て怨心有り、諸仏を謗り法を毀りて衆数に入らず、終に滅度を得ず。汝、若し是くの如くなれば、乃ち食を取るべし。時に我、世尊、此の語を聞きて茫然として是れ何の言なるかを識らず、何を以て答うるかを知らず、便ち鉢を置きて其の舎を出でんと欲す。維摩詰の言わく、唯、須菩提、鉢を取りて懼るること勿れ。意に於て云何。如来の作る所の化人、若し是の事を以て詰めば、寧ろ懼るること有らんや。我が言わく、不なり。維摩詰の言わく、一切の諸法は幻化の相の如し。汝、今、応に懼るること有るべからず。所以は何ん。一切の言説は是の相を離れず。智者に至りては文字に著せず、故に懼るる所無し。何を以ての故に。文字の性は離れて文字有ること無し。是れ則ち解脱なり。解脱の相とは則ち諸法なり。維摩詰、是の法を説きし時、二百の天子、法眼浄を得たり。故に我、彼に詣りて疾を問うに任せず。
現代語訳
もろもろの誤った見解に入って彼岸に到らず、八難にとどまって難のない境地を得ず、煩悩と同じになって清らかな法を離れ、あなたが無諍三昧を得たとしても、一切の衆生も同じ禅定を得ることになり、あなたに施す者を福田と呼ばず、あなたを供養する者は三悪道に堕ち、多くの魔と手を取り合って煩わしい仲間となり、あなたと魔たちとあらゆる煩悩とは同じで違いがなく、すべての衆生に怨みの心を抱き、諸仏をそしり法を破って僧団に数えられず、最後まで滅度を得られないのであれば、そのとき食を取ることができます。そのとき私は、世尊よ、この言葉を聞いて呆然とし、何を言っているのか分からず、どう答えればよいかも分からず、鉢を置いてその家を出ようとしました。維摩詰は言いました。須菩提さん、鉢を取りなさい、恐れてはいけません。どう思いますか。如来が作った化人が、もしこのことであなたを問い詰めたら、あなたは恐れますか。私は答えました。いいえ。維摩詰は言いました。あらゆる諸法は幻のような相です。あなたは今、恐れる必要はありません。なぜなら、すべての言説は、この幻の相を離れないからです。智者は文字に執着しません。だから恐れることがありません。なぜなら、文字の本性は離れていて、文字というものがないからです。それが解脱です。解脱の相とは、すなわち諸法なのです。維摩詰がこの法を説いたとき、二百人の天子が法眼の清らかさを得ました。ですから私は、彼のもとへ行って見舞うことに堪えないのです。
解説

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