仏遺教経 / 是れ我が最後の教誨なり
汝等比丘、常當一心、勤求出道。一切世間動不動法、皆是敗壞不安之相。汝等且止、勿得復語、時將欲過、我欲滅度。是我最後之所教誨。
新字:汝等比丘、常当一心、勤求出道。一切世間動不動法、皆是敗壊不安之相。汝等且止、勿得復語、時将欲過、我欲滅度。是我最後之所教誨。
書き下し
汝等比丘、常に当に一心にして、勤めて出道を求むべし。一切世間の動・不動の法は、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止めよ、復た語ることを得ること勿かれ。時将に過ぎんと欲す。我れ滅度せんと欲す。是れ我が最後の所教誨なり。
現代語訳
比丘たちよ、常に一心であり、勤めて出離の道を求めよ。あらゆる世間の、動くものも動かないものも、みな壊れゆく不安なありさまである。おまえたち、しばらく止めよ、これ以上語ってはならない。時が過ぎようとしている。私は滅しようとしている。これが私の最後の教誡である。
解説
経の最後の一段である。「汝等且く止めよ、復た語ることを得ること勿かれ」——もう話すな、と弟子を止めるところで終わる。三度にわたって疑いを問い、悲しむなと諭し、渡すべきものは渡した。それでもなお語ろうとする者に、時間が来たと告げて打ち切る。惜別の情を長く引き延ばさない。「時将に過ぎんと欲す」の一句が、限りある時間を扱う態度そのものになっている。この経が三千字に満たないのも、同じ姿勢の現れだろう。要点だけを述べて、終わる。
この章句が説くこと
是れ我が最後の教誨なり動不動の法は敗壊不安の相且く止めよ時将に過ぎんとす
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