仏遺教経 / 不戯論
汝等比丘、種種戲論、其心則亂、雖復出家、猶未得脫。是故比丘、當急捨離亂心戲論。若汝欲得寂滅樂者、唯當善滅戲論之患、是名不戲論。
新字:汝等比丘、種種戯論、其心則乱、雖復出家、猶未得脫。是故比丘、当急捨離乱心戯論。若汝欲得寂滅楽者、唯当善滅戯論之患、是名不戯論。
書き下し
汝等比丘、種種の戯論は、其の心則ち乱る。復た出家すと雖も、猶お未だ脱するを得ず。是の故に比丘、当に急に乱心の戯論を捨離すべし。若し汝、寂滅の楽を得んと欲せば、唯だ当に善く戯論の患いを滅すべし。是を不戯論と名づく。
現代語訳
比丘たちよ、さまざまな戯論は、その心を乱す。出家していても、なお脱することができない。だから比丘たちよ、心を乱す戯論を急いで捨て離れよ。もしおまえたちが寂滅の楽を得たいなら、ただ戯論の患いをよく滅せよ。これを不戯論という。
解説
八大人覚の最後。戯論とは、結論に至らない議論、実践に結びつかない理屈のことである。この経がそれを最後に置いたのは、修行が進んだ者ほど陥りやすいからだろう。「復た出家すと雖も、猶お未だ脱するを得ず」——形の上では道に入っていても、議論に遊んでいるかぎり抜け出せない。しかも「急に捨離すべし」と急がせている。他の項目が積み上げの話であるのに対し、これだけは切り捨てる話になっている。組織でも学びでも、議論そのものが目的になる瞬間があり、その手前で止められるかどうかが分かれ目になる。
この章句が説くこと
不戯論種種の戯論は心を乱す急に捨離すべし寂滅の楽
関連する章句
-
『仏遺教経』遠離汝等比丘、寂静無為の安楽を求めんと欲せば、当に憒鬧を離れ、独り閑居に処すべし。静処の人は、帝釈・諸天の共に敬重する所なり。是の故に当に己が衆・他の衆を捨て、空閑に独処して、苦の本を滅せんことを思うべし。若し衆を楽しむ者は、則ち衆の悩みを受く。譬えば大樹に、衆鳥これに集まれば、則ち枯折の患い有るが如し。世間に縛らるる者は、衆苦に没す。譬えば老象の泥に溺れて、自ら出づる能わざるが如し。是を遠離と名づく。
-
『仏遺教経』是れ我が最後の教誨なり汝等比丘、常に当に一心にして、勤めて出道を求むべし。一切世間の動・不動の法は、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止めよ、復た語ることを得ること勿かれ。時将に過ぎんと欲す。我れ滅度せんと欲す。是れ我が最後の所教誨なり。
-
『仏遺教経』不忘念汝等比丘、善知識を求め、善護助を求むるは、不忘念に如くは無し。若し不忘念有る者は、諸の煩悩の賊は則ち入る能わず。是の故に汝等、常に当に念を摂めて心に在らしむべし。若し念を失う者は、則ち諸の功徳を失う。若し念力堅強ならば、五欲の賊中に入ると雖も、害せらるる所と為らず。譬えば鎧を著けて陣に入れば、則ち畏るる所無きが如し。是を不忘念と名づく。
-
『仏遺教経』少欲汝等比丘、当に知るべし、多欲の人は、多く利を求むるが故に、苦悩も亦た多し。少欲の人は、求むる無く欲する無ければ、則ち此の患い無し。直ちに爾か少欲なるすら、尚お宜しく修習すべし。何に況んや少欲は能く諸の功徳を生ずるをや。少欲の人は、則ち諂曲して以て人の意を求むること無く、亦復た諸根に牽かるる所と為らず。少欲を行ずる者は、心則ち坦然として、憂え畏るる所無く、事に触れて余り有り、常に不足無し。少欲有る者は、則ち涅槃有り。是を少欲と名づく。
-
『仏遺教経』知足汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、当に知足を観ずべし。知足の法は、即ち是れ富楽安隠の処なり。知足の人は、地上に臥すと雖も、猶お安楽と為す。不知足の者は、天堂に処すと雖も、亦た意に称わず。不知足の者は、富めりと雖も貧し。知足の人は、貧しと雖も富めり。不知足の者は、常に五欲に牽かるる所と為り、知足の者の憐愍する所と為る。是を知足と名づく。
-
『仏遺教経』禅定汝等比丘、若し心を摂むる者は、心則ち定に在り。心、定に在るが故に、能く世間の生滅の法相を知る。是の故に汝等、常に当に精勤して諸の定を修習すべし。若し定を得る者は、心則ち散ぜず。譬えば水を惜しむの家の、善く隄塘を治むるが如し。行者も亦た爾り。智慧の水の為の故に、善く禅定を修めて、漏失せしめざれ。是を定と名づく。