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仏遺教経 / 我れ良医の如し

汝等比丘、於諸功德、常當一心、捨諸放逸、如離怨賊。大悲世尊所說利益、皆已究竟、汝等但當勤而行之。若於山間、若空澤中、若在樹下、閒處靜室、念所受法、勿令忘失、常當自勉、精進修之、無為空死、後致有悔。我如良醫、知病說藥、服與不服、非醫咎也。又如善導、導人善道、聞之不行、非導過也。

新字:汝等比丘、於諸功徳、常当一心、捨諸放逸、如離怨賊。大悲世尊所説利益、皆已究竟、汝等但当勤而行之。若於山間、若空沢中、若在樹下、閒処静室、念所受法、勿令忘失、常当自勉、精進修之、無為空死、後致有悔。我如良医、知病説薬、服与不服、非医咎也。又如善導、導人善道、聞之不行、非導過也。

書き下し

汝等比丘、諸の功徳に於て、常に当に一心にして、諸の放逸を捨つること、怨賊を離るるが如くすべし。大悲世尊の説きたもう所の利益は、皆な已に究竟せり。汝等、但だ当に勤めてこれを行ずべし。若しは山間、若しは空沢の中、若しは樹下に在り、閑処静室にて、受くる所の法を念じて、忘失せしむること勿かれ。常に当に自ら勉め、精進してこれを修すべし。空しく死して、後に悔い有るを致すこと無かれ。我は良医の如く、病を知りて薬を説く。服すると服せざるとは、医の咎に非ざるなり。又た善導の如く、人を善道に導く。これを聞きて行わざるは、導の過ちに非ざるなり。

現代語訳

比丘たちよ、もろもろの功徳について、常に一心であり、放逸を捨てること、仇の賊を離れるようにせよ。大悲の世尊が説いた利益は、すべてすでに説き尽くした。おまえたちはただ勤めてこれを行え。山のあいだであれ、広い沢のなかであれ、樹の下であれ、静かな部屋であれ、受け取った法を念じて忘れ失うな。常に自ら勉め、精進してこれを修めよ。空しく死んで、後に悔いを残すことがないようにせよ。私は良い医者のようなもので、病を知って薬を説く。飲むか飲まないかは、医者の咎ではない。また良い案内人のようなもので、人を善き道へ導く。それを聞いて行わないのは、案内人の過ちではない。

解説

教える側の責任の範囲を、これほど明確に線引きした言葉は珍しい。私は医者として病を診て薬を説いた、飲むかどうかは私の咎ではない。案内人として道を示した、行かないのは私の過ちではない——説き尽くしたと宣言したうえで、実行の責任を相手に返している。突き放しているのではなく、責任の所在を明らかにしている。教える側が実行までを背負おうとすると、教えは押しつけになり、相手の自立は遠のく。渡すところまでが自分の仕事、と区切ることの意味が、最後の説法という場面でいっそう際立つ。

この章句が説くこと

我れ良医の如し服すると服せざるとは医の咎に非ず善導空しく死して後に悔い有るなかれ

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