仏遺教経 / 三たび唱えて問う者無し
汝等若於苦等四諦有所疑者、可疾問之、毋得懷疑、不求決也。爾時世尊如是三唱、人無問者。所以者何?眾無疑故。
新字:汝等若於苦等四諦有所疑者、可疾問之、毋得懐疑、不求決也。爾時世尊如是三唱、人無問者。所以者何?眾無疑故。
書き下し
汝等、若し苦等の四諦に於て疑う所有らば、疾やかにこれを問うべし。疑いを懐きて、決を求めざること毋かれ。爾の時、世尊、是くの如く三たび唱えたもうに、人の問う者無し。所以は何ん。衆に疑い無きが故なり。
現代語訳
おまえたち、もし苦などの四諦について疑うところがあるなら、すぐに問え。疑いを抱いたまま、解決を求めないでいてはならない。そのとき世尊はこのように三度呼びかけられたが、問う者はいなかった。なぜか。人々に疑いがなかったからである。
解説
最後の場で、三度にわたって「疑いがあれば今すぐ問え」と促した場面である。一度ではなく三度というのが要点で、遠慮や気後れで問えない者がいることを織り込んでいる。そして「疑いを懐きて、決を求めざること毋かれ」——疑ったまま放置するな、と。この後、阿那律が代表して「四諦に疑いはありません」と答え、月を熱くすることはできても仏の説いた四諦を変えることはできない、と述べる。教える側が去る前に、疑問を残さないための手続きが踏まれている。引き継ぎの場面として読める一段である。
この章句が説くこと
四諦三たび唱う疑いを懐きて決を求めざるなかれ衆に疑い無し
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