仏遺教経 / 沙羅双樹の間
釋迦牟尼佛、初轉法輪、度阿若憍陳如、最後說法、度須跋陀羅。所應度者、皆已度訖。於娑羅雙樹間、將入涅槃。是時中夜、寂然無聲、為諸弟子略說法要。
新字:釈迦牟尼仏、初転法輪、度阿若憍陳如、最後説法、度須跋陀羅。所応度者、皆已度訖。於娑羅双樹間、将入涅槃。是時中夜、寂然無声、為諸弟子略説法要。
書き下し
釈迦牟尼仏、初めて法輪を転じ、阿若憍陳如を度し、最後に法を説きて、須跋陀羅を度す。応に度すべき者は、皆すでに度し訖る。娑羅双樹の間に於て、将に涅槃に入らんとす。是の時、中夜、寂然として声無し。諸の弟子の為に略して法要を説きたもう。
現代語訳
釈迦牟尼仏は、初めて法の輪を転じて阿若憍陳如を救い、最後の説法で須跋陀羅を救われた。救うべき者は、みなすでに救い終えた。沙羅双樹のあいだで、まさに涅槃に入ろうとされる。そのとき、真夜中、あたりは静まりかえって物音もない。仏は弟子たちのために、要点をかいつまんで説かれた。
解説
仏遺教経は、釈尊が入滅の直前、沙羅双樹のあいだで弟子たちに遺した最後の教誡を伝える経である。正しくは『仏垂般涅槃略説教誡経』といい、鳩摩羅什が漢訳した。全体で三千字に満たない短い経だが、禅宗では四十二章経・潙山警策と合わせて仏祖三経と呼ばれ、日常の指針として読み継がれてきた。冒頭のこの一段が場面を定める。最初の説法で救った人と、最後の説法で救った人の名を挙げ、なすべきことは終えた、と告げる。そのうえで、真夜中の静寂のなかで要点だけを話す。以下すべてが、時間の限られた場での最後の言葉として読まれることになる。
この章句が説くこと
仏遺教経沙羅双樹略して法要を説く最後の教誡
関連する章句
-
『仏遺教経』是れ我が最後の教誨なり汝等比丘、常に当に一心にして、勤めて出道を求むべし。一切世間の動・不動の法は、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止めよ、復た語ることを得ること勿かれ。時将に過ぎんと欲す。我れ滅度せんと欲す。是れ我が最後の所教誨なり。
-
『仏遺教経』会えば必ず離れ有り汝等比丘、悲悩を懐くこと勿かれ。若し我れ世に住すること一劫なるも、会も亦た当に滅すべし。会して離れざるは、終に得べからず。自利利他、法は皆な具足せり。若し我れ久しく住するも、更に益する所無し。応に度すべき者は、若しは天上、若しは人間、皆な悉く已に度せり。其の未だ度せざる者も、皆な亦た已に得度の因縁を作せり。今より以後、我が諸の弟子、展転してこれを行ぜば、則ち是れ如来の法身、常に在りて滅せざるなり。是の故に当に知るべし、世は皆な無常なり。会えば必ず離れ有り。憂悩を懐くこと勿かれ。世相は是くの如し。当に勤めて精進し、早く解脱を求め、智慧の明を以て、諸の癡暗を滅すべし。
-
『仏遺教経』夜に電光を見るが如し此の衆中に於て、所作未だ辦ぜざる者は、仏の滅度を見て、当に悲感有るべし。若し初めて法に入る者有らば、仏の所説を聞きて、即ち皆な度するを得ん。譬えば夜に電光を見て、即ち道を見るを得るが如し。若し所作已に辦じ、已に苦海を度れる者は、但だ是の念を作さん、世尊の滅度、一に何ぞ疾きかな、と。
-
『仏遺教経』三たび唱えて問う者無し汝等、若し苦等の四諦に於て疑う所有らば、疾やかにこれを問うべし。疑いを懐きて、決を求めざること毋かれ。爾の時、世尊、是くの如く三たび唱えたもうに、人の問う者無し。所以は何ん。衆に疑い無きが故なり。
-
『仏遺教経』我れ良医の如し汝等比丘、諸の功徳に於て、常に当に一心にして、諸の放逸を捨つること、怨賊を離るるが如くすべし。大悲世尊の説きたもう所の利益は、皆な已に究竟せり。汝等、但だ当に勤めてこれを行ずべし。若しは山間、若しは空沢の中、若しは樹下に在り、閑処静室にて、受くる所の法を念じて、忘失せしむること勿かれ。常に当に自ら勉め、精進してこれを修すべし。空しく死して、後に悔い有るを致すこと無かれ。我は良医の如く、病を知りて薬を説く。服すると服せざるとは、医の咎に非ざるなり。又た善導の如く、人を善道に導く。これを聞きて行わざるは、導の過ちに非ざるなり。
-
『仏遺教経』波羅提木叉を尊重す汝等比丘、我が滅後に於て、当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。闇にして明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れ則ち是れ汝等が大師なり。若し我れ世に住するも、此れに異なること無きなり。浄戒を持つ者は、販売貿易し、田宅を安置し、人民・奴婢・畜生を畜養するを得ず。一切の種植及び諸の財宝は、皆な当に遠離すべし。火阬を避くるが如くせよ。草木を斬伐し、土を墾き地を掘るを得ず。