仏遺教経 / 波羅提木叉を尊重す
汝等比丘、於我滅後、當尊重珍敬波羅提木叉、如闇遇明、貧人得寶。當知此則是汝等大師、若我住世、無異此也。持淨戒者、不得販賣貿易、安置田宅、畜養人民、奴婢、畜生、一切種植及諸財寶、皆當遠離、如避火阬、不得斬伐草木、墾土掘地。
新字:汝等比丘、於我滅後、当尊重珍敬波羅提木叉、如闇遇明、貧人得宝。当知此則是汝等大師、若我住世、無異此也。持浄戒者、不得販売貿易、安置田宅、畜養人民、奴婢、畜生、一切種植及諸財宝、皆当遠離、如避火阬、不得斬伐草木、墾土掘地。
書き下し
汝等比丘、我が滅後に於て、当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。闇にして明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れ則ち是れ汝等が大師なり。若し我れ世に住するも、此れに異なること無きなり。浄戒を持つ者は、販売貿易し、田宅を安置し、人民・奴婢・畜生を畜養するを得ず。一切の種植及び諸の財宝は、皆な当に遠離すべし。火阬を避くるが如くせよ。草木を斬伐し、土を墾き地を掘るを得ず。
現代語訳
比丘たちよ、私が世を去った後は、波羅提木叉(戒)を尊び大切にせよ。それは闇の中で明かりに出会い、貧しい人が宝を得たようなものだ。知るべきである、これこそがおまえたちの師である。私が世にとどまっていたとしても、これと変わりはない。清らかな戒を保つ者は、売買や商いをせず、田や家屋を構えず、人民・奴婢・家畜を養ってはならない。あらゆる栽培や財宝は、みな遠ざけよ。火の穴を避けるようにせよ。草木を切り倒し、土を耕し地を掘ってはならない。
解説
最後の説法で、釈尊がまず告げたのは「私の代わりに戒を師とせよ」だった。「此れ則ち是れ汝等が大師なり。若し我れ世に住するも、此れに異なること無きなり」——私がいてもいなくても同じだ、と。指導者が去った後に何を残すかという問いに対する、一つの答えである。人ではなく規範を残す。だから続けて具体的な禁止が並ぶ。商いをしない、不動産を持たない、人や家畜を養わない。出家者の生活規範だが、要は「本業以外の利害を抱え込むな」という一点に集約される。判断を曇らせるものを、あらかじめ生活から外しておく設計である。
この章句が説くこと
波羅提木叉此れ則ち汝等が大師なり持戒の相火阬を避くるが如し
関連する章句
-
『仏遺教経』戒は解脱の本此れ則ち略して持戒の相を説く。戒は是れ正順解脱の本なり。故に波羅提木叉と名づく。此の戒に因り依りて、諸の禅定、及び苦を滅する智慧を生ずるを得。是の故に比丘、当に浄戒を持して、毀缺せしむること勿かるべし。若し能く浄戒を持たば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無くんば、諸の善功徳は皆な生ずるを得ず。是を以て当に知るべし、戒は第一の安隠功徳の住処たり。
-
『仏遺教経』是れ我が最後の教誨なり汝等比丘、常に当に一心にして、勤めて出道を求むべし。一切世間の動・不動の法は、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止めよ、復た語ることを得ること勿かれ。時将に過ぎんと欲す。我れ滅度せんと欲す。是れ我が最後の所教誨なり。
-
『仏遺教経』我れ良医の如し汝等比丘、諸の功徳に於て、常に当に一心にして、諸の放逸を捨つること、怨賊を離るるが如くすべし。大悲世尊の説きたもう所の利益は、皆な已に究竟せり。汝等、但だ当に勤めてこれを行ずべし。若しは山間、若しは空沢の中、若しは樹下に在り、閑処静室にて、受くる所の法を念じて、忘失せしむること勿かれ。常に当に自ら勉め、精進してこれを修すべし。空しく死して、後に悔い有るを致すこと無かれ。我は良医の如く、病を知りて薬を説く。服すると服せざるとは、医の咎に非ざるなり。又た善導の如く、人を善道に導く。これを聞きて行わざるは、導の過ちに非ざるなり。
-
『仏遺教経』会えば必ず離れ有り汝等比丘、悲悩を懐くこと勿かれ。若し我れ世に住すること一劫なるも、会も亦た当に滅すべし。会して離れざるは、終に得べからず。自利利他、法は皆な具足せり。若し我れ久しく住するも、更に益する所無し。応に度すべき者は、若しは天上、若しは人間、皆な悉く已に度せり。其の未だ度せざる者も、皆な亦た已に得度の因縁を作せり。今より以後、我が諸の弟子、展転してこれを行ぜば、則ち是れ如来の法身、常に在りて滅せざるなり。是の故に当に知るべし、世は皆な無常なり。会えば必ず離れ有り。憂悩を懐くこと勿かれ。世相は是くの如し。当に勤めて精進し、早く解脱を求め、智慧の明を以て、諸の癡暗を滅すべし。
-
『仏遺教経』蜂の華を採るが如し汝等比丘、諸の飲食を受くるは、当に薬を服するが如くすべし。好きに於ても悪しきに於ても、増減を生ずること勿かれ。趣かに身を支うるを得て、以て饑渇を除け。蜂の華を採るに、但だ其の味を取りて、色香を損せざるが如く、比丘も亦た爾り。人の供養を受くるは、趣かに自ら悩みを除くのみ。多く求めて、其の善心を壊すこと無かれ。譬えば智者の、牛力の堪うる所の多少を籌量して、分に過ぎしめず、以て其の力を竭くさざるが如し。
-
『仏遺教経』沙羅双樹の間釈迦牟尼仏、初めて法輪を転じ、阿若憍陳如を度し、最後に法を説きて、須跋陀羅を度す。応に度すべき者は、皆すでに度し訖る。娑羅双樹の間に於て、将に涅槃に入らんとす。是の時、中夜、寂然として声無し。諸の弟子の為に略して法要を説きたもう。