仏遺教経 / 不忘念
汝等比丘、求善知識、求善護助、無如不忘念。若有不忘念者、諸煩惱賊則不能入。是故汝等、常當攝念在心。若失念者、則失諸功德。若念力堅強、雖入五欲賊中、不為所害、譬如著鎧入陣、則無所畏。是名不忘念。
新字:汝等比丘、求善知識、求善護助、無如不忘念。若有不忘念者、諸煩悩賊則不能入。是故汝等、常当摂念在心。若失念者、則失諸功徳。若念力堅強、雖入五欲賊中、不為所害、譬如著鎧入陣、則無所畏。是名不忘念。
書き下し
汝等比丘、善知識を求め、善護助を求むるは、不忘念に如くは無し。若し不忘念有る者は、諸の煩悩の賊は則ち入る能わず。是の故に汝等、常に当に念を摂めて心に在らしむべし。若し念を失う者は、則ち諸の功徳を失う。若し念力堅強ならば、五欲の賊中に入ると雖も、害せらるる所と為らず。譬えば鎧を著けて陣に入れば、則ち畏るる所無きが如し。是を不忘念と名づく。
現代語訳
比丘たちよ、善き友を求め、善き助けを求めるといっても、念を忘れないことに勝るものはない。念を忘れない者には、もろもろの煩悩の賊が入り込めない。だからおまえたちは、常に念を収めて心に置いておけ。念を失う者は、あらゆる功徳を失う。もし念の力が堅く強ければ、五欲の賊のただ中に入っても害されない。たとえば鎧を着けて陣に入れば、恐れるものがないのと同じである。これを不忘念という。
解説
八大人覚の第五。善き友や善き助けを求めることを否定はしないが、それより上に「念を忘れないこと」を置く。外からの支えより、自分の内側の見張りのほうが確かだ、という順序である。念とは、いま何をしているかを見失わない働きのこと。これがあれば煩悩の賊は入り込めず、逆に失えば功徳ごと失う。鎧の比喩が的確で、欲のただ中に入らないのではなく、入っても害されない状態を目指している。環境を選べない場面が多い実務では、この向きの対処のほうが使える。
この章句が説くこと
不忘念念を摂めて心に在らしむ念を失えば功徳を失う鎧を著けて陣に入る
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