仏遺教経 / 少欲
汝等比丘、當知多欲之人、多求利故、苦惱亦多、少欲之人、無求無欲、則無此患。直爾少欲、尚宜修習、何況少欲能生諸功德!少欲之人、則無諂曲以求人意、亦復不為諸根所牽。行少欲者、心則坦然、無所憂畏、觸事有餘、常無不足。有少欲者、則有涅槃。是名少欲。
新字:汝等比丘、当知多欲之人、多求利故、苦悩亦多、少欲之人、無求無欲、則無此患。直爾少欲、尚宜修習、何況少欲能生諸功徳!少欲之人、則無諂曲以求人意、亦復不為諸根所牽。行少欲者、心則坦然、無所憂畏、触事有余、常無不足。有少欲者、則有涅槃。是名少欲。
書き下し
汝等比丘、当に知るべし、多欲の人は、多く利を求むるが故に、苦悩も亦た多し。少欲の人は、求むる無く欲する無ければ、則ち此の患い無し。直ちに爾か少欲なるすら、尚お宜しく修習すべし。何に況んや少欲は能く諸の功徳を生ずるをや。少欲の人は、則ち諂曲して以て人の意を求むること無く、亦復た諸根に牽かるる所と為らず。少欲を行ずる者は、心則ち坦然として、憂え畏るる所無く、事に触れて余り有り、常に不足無し。少欲有る者は、則ち涅槃有り。是を少欲と名づく。
現代語訳
比丘たちよ、知るべきである。欲の多い人は多くの利を求めるから、苦悩もまた多い。欲の少ない人は求めるものも欲するものもないから、この患いがない。ただ欲が少ないというだけでも修めるに値する。まして欲の少なさが多くの功徳を生むのだからなおさらだ。欲の少ない人は、へつらって人の機嫌を取ることがなく、また感覚に引きずられることもない。欲の少なさを行う者は、心が平らかで、憂いも恐れもなく、事に触れても余裕があり、常に不足がない。欲の少ない者には涅槃がある。これを少欲という。
解説
八大人覚の第一である。少欲を、我慢ではなく自由として説明しているのが要点だ。求めるものが少なければ、へつらって人の機嫌を取る必要がない。感覚に引きずられることもない。「事に触れて余り有り、常に不足無し」——何が起きても余裕がある状態を指している。前段の諂曲と直接つながっていて、へつらいの原因を欲に見ている。人の顔色をうかがってしまうのは、その人から何かを得たいからだ。だから欲を減らすことが、そのまま独立につながる。禁欲の勧めというより、身軽さの勧めとして読める。
この章句が説くこと
少欲諂曲して人の意を求めず事に触れて余り有り常に不足無し
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