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養生訓 / 巻第三・飲食上

是大なる幸にあらずや。五には、上古の時を思ふべし。上古には五穀なくして、草木の實と根葉を食して飢をまぬかる。其後五穀出來ても、いまだ火食をしらず、釜甑なくして煮食せず。生にて嚙み食はば味なく、腸胃をそこなふべし。今白飯をやはらかに煮て、ほしいまゝに食し、又、あつものあり、飣ありて、朝夕食に飽けり。且酒醴ありて、心を樂ましめ、氣血を助く。されば朝夕食するごとに、此五思の内、一二なりとかはるがはる思ひめぐらして、忘るべからず。然らば、日々に樂も亦其の中に在るべし。是愚が臆說なり。妄にこゝに記す。僧家には食時の五觀あり、是に同じからず。一夕食は朝食より滯りやすく、消化しがたし。晩食は少きがよし。かろく淡き物をくらふべし。

新字:是大なる幸にあらずや。五には、上古の時を思ふべし。上古には五穀なくして、草木の実と根葉を食して飢をまぬかる。其後五穀出来ても、いまだ火食をしらず、釜甑なくして煮食せず。生にて噛み食はば味なく、腸胃をそこなふべし。今白飯をやはらかに煮て、ほしいまゝに食し、又、あつものあり、飣ありて、朝夕食に飽けり。且酒醴ありて、心を楽ましめ、気血を助く。されば朝夕食するごとに、此五思の内、一二なりとかはるがはる思ひめぐらして、忘るべからず。然らば、日々に楽も亦其の中に在るべし。是愚が臆説なり。妄にこゝに記す。僧家には食時の五観あり、是に同じからず。一夕食は朝食より滞りやすく、消化しがたし。晩食は少きがよし。かろく淡き物をくらふべし。

書き下し

是大なる幸にあらずや。五には、上古の時を思ふべし。上古には五穀なくして、草木の実と根葉を食して飢をまぬかる。其後五穀出来ても、いまだ火食をしらず、釜甑なくして煮食せず。生にて噛み食はば味なく、腸胃をそこなふべし。今白飯をやはらかに煮て、ほしいままに食し、又、あつものあり、飣ありて、朝夕食に飽けり。且酒醴ありて、心を楽ましめ、気血を助く。されば朝夕食するごとに、此五思の内、一二なりとかはるがはる思ひめぐらして、忘るべからず。然らば、日々に楽も亦其の中に在るべし。是愚が臆説なり。妄にここに記す。僧家には食時の五観あり、是に同じからず。一夕食は朝食より滞りやすく、消化しがたし。晩食は少きがよし。かろく淡き物をくらふべし。

現代語訳

これは大きな幸いではないでしょうか。五つには、大昔の時を思いなさい。大昔には五穀がなく、草木の実や根や葉を食べて飢えをしのぎました。その後五穀ができても、まだ火で煮炊きすることを知らず、釜や甑(こしき)もなくて煮て食べませんでした。生のままかんで食べれば味もなく、腸や胃を損なったことでしょう。今は白い飯を柔らかく炊いて思うままに食べ、また汁物もありおかずもあって、朝夕の食事に満ち足りています。そのうえ酒や甘酒もあって心を楽しませ、気血を助けます。ですから朝夕食べるたびに、この五思のうち一つ二つでも代わる代わる思いめぐらして、忘れてはいけません。そうすれば、日々の楽しみもまたその中にあるでしょう。これは私の拙い考えです。みだりにここに記しました。僧家には食事の時の「五観」がありますが、これとは同じではありません。夕食は朝食より滞りやすく、消化しにくいものです。夕食は少ないのがよいのです。軽く淡い物を食べなさい。

解説

五思の続きで、大昔の人の粗末な食と今の豊かな食卓を比べ、感謝の中にこそ日々の楽しみがあると結びます。益軒はこれを自分の「臆説」とへりくだり、禅寺で食前に唱える「五観の偈」とは別物だと断っています。仏教の作法ではなく儒者としての感謝の工夫だという意識がうかがえます。末尾からは夕食の心得が始まり、夕食は朝食より消化しにくいので軽く少なくせよと説きます。感謝して味わうことと量を控えることは、心と体の両面から食を整える道といえるでしょう。

この章句が説くこと

感謝楽しみ五思夕食養生

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