夜船閑話 / 本文
卽ち曰く、人迹不到の山路、西東分ち難し。恐くは歸客を惱せん。老夫しばらく歸程を導かんと云て、大駒屐を着け、痩鳩杖をひき、巉巌を踏み、嶮岨を陟ること、飄々として坦途を行くが如く、談笑して先驅す。山路遙に里許を下て彼溪水の處に到て卽ち曰く、此の流水に隨ひ下らば、必ず白川の邑に到らむと云て、慘然として別る。且らく柴立して幽が囘步を目送するに、其老歩の勇壯なること、飄然として世を遁れて羽化して登仙する人の如し。且つ羨み且つ敬す。自ら恨む、世を終るまで此等の人に隨逐すること能はざることを。
新字:即ち曰く、人迹不到の山路、西東分ち難し。恐くは帰客を悩せん。老夫しばらく帰程を導かんと云て、大駒屐を着け、痩鳩杖をひき、巉巌を踏み、嶮岨を陟ること、飄々として坦途を行くが如く、談笑して先駆す。山路遥に里許を下て彼渓水の処に到て即ち曰く、此の流水に随ひ下らば、必ず白川の邑に到らむと云て、惨然として別る。且らく柴立して幽が囘歩を目送するに、其老歩の勇壮なること、飄然として世を遁れて羽化して登仙する人の如し。且つ羨み且つ敬す。自ら恨む、世を終るまで此等の人に随逐すること能はざることを。
書き下し
即ち曰く、人迹不到の山路、西東分ち難し。恐くは帰客を悩せん。老夫しばらく帰程を導かんと云て、大駒屐を着け、痩鳩杖をひき、巉巌を踏み、嶮岨を陟ること、飄々として坦途を行くが如く、談笑して先駆す。山路遥に里許を下て彼渓水の処に到て即ち曰く、此の流水に随ひ下らば、必ず白川の邑に到らむと云て、惨然として別る。且らく柴立して幽が囘歩を目送するに、其老歩の勇壮なること、飄然として世を遁れて羽化して登仙する人の如し。且つ羨み且つ敬す。自ら恨む、世を終るまで此等の人に随逐すること能はざることを。
現代語訳
白幽は言った。人の通わない山道は、東西の見分けがつきにくい。帰っていく客を迷わせては気の毒だ。この老人がしばらく帰り道を案内しよう、と言って、大きな下駄をはき、痩せた鳩の飾りの杖をついて、けわしい岩を踏み、危うい崖を越えていくことは、ふわりと平らな道を行くようで、談笑しながら先に立って進んだ。山道をはるかに一里ほど下って、あの谷川のところに着くと、言った。この流れに沿って下れば、必ず白川の村に着くだろう、と言って、名残惜しそうに別れた。わたしはしばらく立ち尽くして、白幽の帰っていく後ろ姿を見送ったが、その老いた足取りの勇ましさは、ふわりと世を逃れて羽が生え仙人となって天に昇っていく人のようであった。うらやましくもあり、敬う気持ちもわいた。自分で残念に思った。一生の間、このような人に付き従うことができないことを。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荀子・大略篇自ら其の行ひに嗛(あきた)らざる者は、言濫(らん)に過ぐ。古の賢人は、賤しくして布衣(ほい)為(た)り、貧しくして匹夫為り。食へば則ち饘粥(せんしゅく)も足らず、衣れば則ち豎褐(じゅかつ)も完(まった)からず。然り而して礼に非ざれば進まず、義に非ざれば受けず。安(いづ)くんぞ此れを取らん。
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論語・憲問篇子曰わく、君子はその言にして行に過ぐるを恥ず。
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論語・子路篇子貢問いて曰く、「何如なれば斯れ之を士と謂う可き。」子曰く、「己を行うに恥有り、四方に使いして、君命を辱めざる、士と謂う可し。」曰く、「敢えて其の次を問う。」曰く、「宗族孝を称し、郷党弟を称す。」曰く、「敢えて其の次を問う。」曰く、「言必ず信、行必ず果、硜硜然たる小人なるかな。抑々亦た以て次と為す可し。」曰く、「今の政に従う者は何如。」子曰く、「噫、斗筲の人、何ぞ算うるに足らんや。」
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論語・里仁篇子曰わく、古者は言を出さざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり。
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論語・憲問篇子曰わく、その言の怍(はじ)ざるは、これを為すこと難し。
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呉子・図国篇呉起、儒服にして兵機を以て魏の文侯に見ゆ。文侯曰く、「寡人は軍旅の事を好まず」と。起曰く、「臣は見るるところを以て隠れたるを占い、往きしを以て来たるを察す。主君何ぞ言と心と違うことを言わるるや。今、君は四時に人をして皮革を斬り離たしめ、掩うに朱漆を以てし、画くに丹青を以てし、爍かすに犀象を以てす。冬日に之を衣れば則ち温かならず、夏日に之を衣れば則ち涼しからず。長戟は二丈四尺、短戟は一丈二尺を為る。革車は戸を奄い、輪を縵にし轂を籠む。之を目に観れば則ち麗しからず、之に乗りて以て田すれば則ち軽からず。識らず、主君安んぞ此を用いんや。若し以て進みて戦い退きて守るに備うるも、能く用うる者を求めざれば、譬えば猶お伏鶏の狸を搏ち、乳犬の虎を犯すがごとし。闘心有りと雖も、之に随いて死せんのみ。昔、承桑氏の君は、徳を修めて武を廃し、以て其の国を滅ぼせり。有扈氏の君は、衆を恃み勇を好み、以て其の社稷を喪えり。明主は茲に鑒み、必ず内には文徳を修め、外には武備を治む。故に敵に当たりて進まざるは、義に逮ぶこと無きなり。僵屍して之を哀しむは、仁に逮ぶこと無きなり」と。是に於いて文侯は身自ら席を布き、夫人は觴を捧げ、呉起を廟に醮し、立てて大将と為し、西河を守らしむ。諸侯と大いに戦うこと七十六、全勝六十四、余は則ち鈞しく解く。土を四面に闢き、地を拓くこと千里なるは、皆な起の功なり。