うひ山ぶみ / 第三十八段
さて又五十音のとりさばき、かなづかひなど、必ズこゝろがくべきわざ也、語釋は緊要にあらず、
新字:さて又五十音のとりさばき、かなづかひなど、必ズこゝろがくべきわざ也、語釈は緊要にあらず、
書き下し
さて又五十音のとりさばき、かなづかひなど、必ズこゝろがくべきわざ也、語釈は緊要にあらず、
現代語訳
さてまた五十音の扱い、仮名遣いなどは、必ず心がけるべきわざである。語釈は重要ではない。
解説
二つの指示が並ぶ。音韻と仮名遣いは必ずやれ、語源の詮索は重要でない、と。奥の注によれば、語釈とは「天とはどういうことか、地とはどういうことか」と語のもとの意味を考えることで、学者は誰でも知りたがるが、よい考えは出にくく、知らなくても差し支えなく、知ってもさして益がないという。それより古人がその語をどう用いたかをよく調べ、この語はこの意味で使われたと明らかにするほうが大事だと述べる。語の起源ではなく用例に当たれという主張で、現代の言語学の立場に近い。もっともらしい語源説に飛びつく危うさは、今も変わらない。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
仮名遣い五十音語釈語源用例基礎
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