尚書 / 太甲下
若升高必自下,若陟遐必自邇
書き下し
高きに升るには必ず下よりし、遐きに陟るには必ず邇きよりす。
現代語訳
高い所に登るには必ず低い所から始め、遠い所に行くには必ず近い所から始める。
解説
どれほど遠大な目標であっても、たどり着く道筋は足元の一歩から始まっている。高い山も麓から、長い旅路も最初の一歩から始まるように、大きな成果や理想も、日々の地道な積み重ねを抜きにしては実現しない。焦って高みだけを見つめると、足元がおろそかになり、かえって遠回りになる。今取り組んでいる小さな一歩こそが、目指す場所への確かな道であることを思い出させてくれる言葉である。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
積み重ね着実基礎
関連する章句
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論語・八佾篇子夏問いて曰く、「巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢を為すとは、何の謂ぞや」と。子曰く、「絵事は素より後にす」と。曰く、「礼は後か」と。子曰く、「予を起こす者は商なり。始めて与に詩を言うべきのみ」と。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子、東山に登りて魯を小とし、太山に登りて天下を小とす。故に海に觀る者は、水を為し難く、聖人の門に遊ぶ者は、言を為し難し。水を觀るに術有り、必ず其の瀾(ラン)を觀る。日月明有り、容光必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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李衛公問対・卷下兵の學を習うは、必ず先ず下より以て中に及び、中より以て上に及べば、則ち漸くにして深し。然らざれば、則ち空言を垂れ、徒に記誦するのみにて、取るに足らざるなり。
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伝習録・陸澄録問う、「知識、長進せず。如何」と。先生曰く、「学を為すには須らく本原有るべし。須らく本原の上より力を用い、漸漸として『科に盈ちて進む』べし。仙家の嬰児を説くも、亦た善き譬えなり。嬰児は母の腹に在る時、只だ是れ純気なり。何の知識か有らん。胎を出でて後、方に始めて能く啼く。既にして後に能く笑う。又た既にして後に能く其の父母兄弟を認識す。又た既にして後に能く立ち、能く行き、能く持し、能く負う。卒に乃ち天下の事、能くすべからざる無し。皆な是れ精気日々に足れば、則ち筋力日々に強く、聡明日々に開くなり。是れ胎を出づる日に便ち講求推尋し得来たるに非ず。故に須らく個の本原有るべし。聖人の『天地を位せしめ、万物を育す』るに到るも、也只だ『喜怒哀楽未発の中』の上より養い来たる。後儒は格物の説に明らかならず、聖人の知らざる無く、能くせざる無きを見て、便ち初めて手を下す時に於て講求し尽くさんと欲す。豈に此の理有らんや」と。又た曰く、「志を立て功を用うるは、樹を種うるが如く然り。方に其の根芽なるや、猶お未だ有らず。其の幹有るに及びても、尚お未だ枝有らず。枝ありて後に葉あり、葉ありて後に花実あり。初め根を種うる時は、只管(ひたす)ら栽培灌漑せよ。枝の想を作す勿かれ。葉の想を作す勿かれ。花の想を作す勿かれ。実の想を作す勿かれ。懸想して何の益かあらん。但だ栽培の功を忘れずんば、枝・葉・花・実の有ること無きを怕(おそ)れんや」と。
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論語・述而篇子曰く、蓋し知らずして之を作る者有らん。我は是れ無きなり。多く聞きて其の善き者を択びて之に従い、多く見て之を識す。知るの次なり。
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孫子・勢篇凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江海の如し。終わりて復た始まるは、日月是なり。死して復た生ずるは、四時是なり。