徒然草 / 第239段
八月十五日、九月十三日は婁宿なり。この宿、清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とす。
書き下し
八月十五日、九月十三日は婁宿なり。この宿、清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とす。
現代語訳
八月十五日、九月十三日は婁宿である。この宿は清明であるため、月を賞美するのに良夜とする。
解説
八月十五日(十五夜)と九月十三日(十三夜)は、二十八宿でいう婁宿にあたり、この宿は空が清く澄んでいるため、月を愛でるのにふさわしい「良夜」とされる、という短い段です。本文はごく簡潔ですが、当時の人々が月見の日取りを暦や宿曜(星の巡り)と結びつけて考えていたことがうかがえます。中秋の名月とその後の十三夜の月見は、古くから日本で対で愛でられてきた行事であり、兼好もその由来の一端を、単なる季節の習わしとしてではなく、天体の巡りに根拠を求める形で書き留めています。合理的な理由づけを好み、物事の背景にある道理を確かめずにいられない兼好らしい視点がここにも表れているといえるでしょう。現代では天文学的な説明と行事の由来が切り離されがちですが、当たり前だと思っている年中行事にも、もともとは自然観察に基づく理由があったことを思い出させてくれる一段です。何気ない習慣の由来を一度立ち止まって尋ねてみる姿勢は、今の生活にも活かせるでしょう。
この章句が説くこと
八月十五日九月十三日婁宿良夜月見十五夜
関連する章句
-
『玉勝間』十三の巻 九月十三日の夜月をめづる事中右記に、保延元年九月十三夜、今宵雲浄く月明らかなり、是れ寛平法皇、明月無双の由、仰せ出だされ、仍りて我が朝九月十三夜を以て、明月の夜と為す。
-
徒然草・第212段秋の月は限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらむ人は、無下に心うかるべきことなり。
-
徒然草・第32段九月二十日の頃、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで月見歩く事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひしめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いと物あはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、猶ことざまの優に覚えて、物のかくれよりしばし見居たるに、妻戸を今少しおしあけて、月見るけしきなり。やがてかけ籠らましかば、口惜しからまし。あとまで見る人ありとは如何でか知らむ。かやうの事は、たゞ朝夕の心づかひによるべし。その人程なく亡せにけりと聞き侍りし。
-
『楽訓』巻之中・節序宿わかず、賤しきちまたをも同じく照らせる、いとめでたし。年々に、月と花とをあくまで見るは、まことに思出おほき此世なりと云ふべし。あたら夜の月なれば、同じくは、心知れらん人と共に見んこそ本意なれど、同じ心に見ゆる人稀なれば、西行が、ひとりぞ月は見るべかりけるとよめるも、むべなり。もろこしの人も、秋月は俗士と見るべからずといへり。李白は、今人は古時の月を見ずといへれど、むかし世々の人の眺め来しも、此月なれば、古人のかたみとなれるも、昔おぼえて忍ばし。古今の人の世をさり行くは、流水の行きてかへらざるが如し。唯月の光のみ、古今かはる事なきこそ、こよなうめでたく貴ふべけれ。月の梧桐の上にいたり、風の楊柳の辺に来るは、心を洗ひ興をもよほして、えもいはぬ快き折ふしなり。
-
『幽夢影』巻上・一歳の諸節は上元を第一と爲す一歳の諸節は、上元を以て第一と爲し、中秋之に次ぎ、五日・九日又之に次ぐ。
-
徒然草・第202段十月をかみなづきといひて、神事に憚るべき由は、記したるものなし。本文も見えず。たゞし、当月諸社の祭なきゆゑに、この名あるか。この月万の神たち、太神宮へ集り給ふなどいふ説あれども、その本説なし。さる事ならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸、その例も多し。但し多くは不吉の例なり。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る