徒然草 / 第178段
ある所の侍ども、内侍所の御神樂を見て人に語るとて、「寶劒をばその人ぞ持ち給へる。」などいふを聞きて、内裏なる女房の中に、「別殿の行幸には、晝御座の御劒にてこそあれ。」と忍びやかにいひたりし、心憎かりき。その人、ふるき典侍なりけるとかや。
新字:ある所の侍ども、内侍所の御神楽を見て人に語るとて、「宝劒をばその人ぞ持ち給へる。」などいふを聞きて、内裏なる女房の中に、「別殿の行幸には、昼御座の御劒にてこそあれ。」と忍びやかにいひたりし、心憎かりき。その人、ふるき典侍なりけるとかや。
書き下し
ある所の侍ども、内侍所の御神楽を見て人に語るとて、「宝劒をばその人ぞ持ち給へる。」などいふを聞きて、内裏なる女房の中に、「別殿の行幸には、昼御座の御劒にてこそあれ。」と忍びやかにいひたりし、心憎かりき。その人、ふるき典侍なりけるとかや。
現代語訳
ある所に仕える侍たちが、内侍所の御神楽を見て人に語ろうとして、「宝剣はあの人がお持ちになっている」などと言うのを聞いて、宮中に仕える女房の中で、「別殿への行幸の際には、昼の御座の御剣を用いるものです」と、ひそやかに言ったのは、奥ゆかしいことであった。その女房は、年配の典侍であったとかいうことだ。
解説
侍たちが宮中の神楽を見て得意げに宝剣はあの人が持っていると語る中、それを控えめに正した年配の女房、典侍の知識と物腰を称える段です。彼女は別殿への行幸の際は昼御座の御剣を用いるという正確な宮中の作法を、声高にではなく忍びやかに指摘しており、その慎み深さと確かな教養の両方が心憎し、すなわち奥ゆかしく感心させられると評価されています。前段の吉田中納言の指摘と同様、正確な知識をひけらかさず控えめに示す態度への賛美が徒然草には繰り返し表れており、これは知識をどう他人に伝えるかという作法の問題でもあります。現代でも、誤りを指摘する際に声高に非難するのではなく、さりげなく事実を添えるだけで相手の面目を保ちながら訂正できるという、コミュニケーションの知恵として読むことができます。
この章句が説くこと
内侍所御神楽宝剣典侍心憎し慎み
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