顔氏家訓 / 風操
昔侯霸之子孫、稱其祖父曰家公、陳思王稱其父爲家父、母爲家母、潘尼稱其祖曰家祖:古人之所行、今人之所笑也。
新字:昔侯覇之子孫、称其祖父曰家公、陳思王称其父為家父、母為家母、潘尼称其祖曰家祖:古人之所行、今人之所笑也。
書き下し
昔侯霸の子孫は、其の祖父を称して家公と曰う。陳思王は其の父を称して家父と為し、母を家母と為す。潘尼は其の祖を称して家祖と曰う。古人の行う所は、今人の笑う所なり。
現代語訳
昔、侯霸の子孫は、自分の祖父を「家公」と呼んだ。陳思王曹植は自分の父を「家父」、母を「家母」と呼んだ。潘尼は自分の祖父を「家祖」と呼んだ。昔の人が行っていたことが、今の人には笑いの種になっている。
解説
呼称の変遷を扱う一段の導入です。かつて曹植ほどの人物が父を「家父」と呼んでいた。それが顔之推の時代には笑われる。作法は絶対ではなく、時代とともに動くという実例です。ここで効いてくるのは、風操篇の冒頭で述べた原則——礼の原典は欠けており、後の人が判断で埋めてきた——との接続です。だから作法には、正解ではなく、その時代の合意しかない。自分の世代で当然だった呼び方や振る舞いが、次の世代に笑われることはあり得ます。それを嘆くのではなく、変わるものだと知ったうえで、いま何を守るかを選ぶ。次の段でその選び方が示されます。
この章句が説くこと
家公家父古人の行う所今人の笑う所呼称の変遷時代の合意伝統
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