徒然草 / 第62段
延政門院幼くおはしましける時、院へ參る人に、御ことづてとて申させ給ひける御歌、 ふたつ文字牛の角文字直な文字ゆがみもじとぞ君はおぼゆる こひしく思ひまゐらせ給ふとなり。
新字:延政門院幼くおはしましける時、院へ参る人に、御ことづてとて申させ給ひける御歌、 ふたつ文字牛の角文字直な文字ゆがみもじとぞ君はおぼゆる こひしく思ひまゐらせ給ふとなり。
書き下し
延政門院幼くおはしましける時、院へ参る人に、御ことづてとて申させ給ひける御歌、 ふたつ文字牛の角文字直な文字ゆがみもじとぞ君はおぼゆる こひしく思ひまゐらせ給ふとなり。
現代語訳
延政門院がまだ幼くいらっしゃった時、御所へ参上する人に、伝言としておっしゃった御歌は、「ふたつ文字 牛の角文字 直な文字 ゆがみもじとぞ 君はおぼゆる」というものであった。恋しくお思い申し上げなさっているとのことである。
解説
延政門院という高貴な女性が幼少の頃に詠んだとされる、文字の形を使った言葉遊びの歌を紹介する段です。「ふたつ文字」は仮名の「こ」、「牛の角文字」は角のように尖った「い」、「直な文字」はまっすぐな「し」、「ゆがみもじ」は曲がった「く」を指し、これらをつなげると「こいしく」(恋しく)という言葉になる仕掛けです。幼い皇女が、遠く離れた相手を恋しく思う気持ちを、直接的に言葉にするのではなく、文字の形にたとえた謎かけ風の歌に託して伝えたという、当時の宮廷文化における機知と風雅を示す逸話です。短い歌の背後にある知的な遊び心と、幼いながらも人を恋しく思う純粋な心情が伝わってきます。言葉を額面通りに使わず、遊び心を交えて気持ちを伝える工夫は、現代のなぞかけや言葉遊びにも通じるものです。
この章句が説くこと
延政門院文字遊び恋しく御歌宮廷文化謎かけ
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