徒然草 / 第35段
手の惡き人の、憚らず文かきちらすはよし。見苦しとて人に書かするはうるさし。
新字:手の悪き人の、憚らず文かきちらすはよし。見苦しとて人に書かするはうるさし。
書き下し
手の悪き人の、憚らず文かきちらすはよし。見苦しとて人に書かするはうるさし。
現代語訳
字が下手な人が、遠慮せずに手紙を書き散らすのはよい。見苦しいからといって、人に書かせるのはうっとうしいことである。
解説
字の巧拙をめぐる、短くも鋭い人生観を示す段です。字が下手でも臆せず自分で書く人を良しとし、見苦しいのを恥じて他人に代筆させることをかえって鬱陶しいと切り捨てます。ここで問われているのは技術としての上手さではなく、自分自身の言葉や姿を偽らずにさらけ出す率直さです。体裁を取り繕うために他人の手を借りることは、一見賢明に見えて、かえって不自然で見苦しいものになるという逆説が示されています。現代でも、文章や成果物を必要以上に取り繕い、他人任せの体裁に頼ることでかえって信頼を損なう場面は少なくなく、拙くとも自分の言葉で表すことの価値を改めて考えさせられる一段です。
この章句が説くこと
手習い代筆見栄率直さ体裁自己表現
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