徒然草 / 第28段
諒闇の年ばかり哀れなる事はあらじ。倚廬の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾をかけて、布の帽額あらあらしく、御調度ども疎かに、みな人の裝束、太刀、平緒まで、異樣なるぞゆゝしき。
新字:諒闇の年ばかり哀れなる事はあらじ。倚廬の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾をかけて、布の帽額あらあらしく、御調度ども疎かに、みな人の装束、太刀、平緒まで、異様なるぞゆゝしき。
書き下し
諒闇の年ばかり哀れなる事はあらじ。倚廬の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾をかけて、布の帽額あらあらしく、御調度ども疎かに、みな人の装束、太刀、平緒まで、異様なるぞゆゝしき。
現代語訳
諒闇(天皇の喪に服す年)の年ほど、しみじみと悲しいことはないだろう。倚廬の御所の様子なども、板敷を下げ、葦の御簾をかけ、布の帽額を粗末にし、御調度類も簡素にし、皆の装束や太刀・平緒に至るまで、普段と異なる様子であるのが、実に厳粛である。
解説
天皇の崩御に伴う喪の年である諒闇の様子を描く短い段です。仮の御所である倚廬では、板敷を下げ、簾を粗末な葦のものに替え、調度も装束もすべて質素に整えられ、太刀や平緒に至るまで普段と異なる様相を見せます。華美を排し、あらゆる調度・装束を意図的に簡素・異様にすることで、国全体が喪に服していることを目に見える形で表す仕組みが読み取れます。派手さを削ぎ落とすことでかえって悲しみの深さが際立つという逆説的な美意識がここにはあり、現代の弔いの場においても、質素さや簡素さが哀悼の気持ちをより雄弁に語ることがあるという示唆につながります。
この章句が説くこと
諒闇倚廬喪装束質素天皇
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