自利利他は、他人が得をすること自体が自分の得である、という仏教の考え方です。よく「人に得をさせれば自分に返ってくる」と説明されますが、それは本来の意味ではありません。言葉の出どころをたどりながら、この二つが「円満」になるとはどういうことかを見ていきます。

自利利他とは

読み方と意味

自利利他(じりりた)と読みます。「自利」と「利他」の二つを並べた言葉です。

もとは大乗仏教の術語で、自ら仏道を修行して悟りを得るとともに、他の人にも仏法の利益を得させることを指します。修行者が自分の悟りだけを目指すのではなく、他者を悟りに導くこともあわせて行う——これを菩薩道といいます。

「自利」と「利他」を分けて見る

  • 自利……自分が悟りを開いて仏になること。一般の言葉に置き換えれば、自分が利益を得ること
  • 利他……他の人を悟りに至らせること。一般には、他人に利益を与えること

この二つを並べて「自利利他」、両方が満たされた状態を「自利利他円満(じりりたえんまん)」と呼びます。

なぜ経営の言葉として広まったのか

商売は他人に何かを提供して対価を得る営みですから、自利と利他が同時に立つかどうかは、そのまま事業の根本に触れます。だから多くの経営者がこの言葉を理念に掲げてきました。

ただし、掲げられ方の多くは本来の意味からずれています。次に見ていきます。

自利利他の本当の意味 — 「返ってくる」ではない

よくある三つの誤解

自利利他を表面だけで受け取ると、こういう理解になりがちです。

  • 「他人に得をさせれば、自分も儲かるということだな」
  • 「利益を追求するだけでなく、理念も大事にしろということだな」
  • 「利益を社会貢献に使えばいいんだな」

いずれも、違います。

「他人の得が返ってくる」は、ただの経済の話

他人に得をさせれば自分にも返ってくる、というのは経済の因果です。価格以上の価値を提供すれば顧客は得をし、評判が広がり、客が増え、自社が儲かる。これは事実でしょう。しかし自利利他とは別のことを言っています。

自利利他とは、他人が得をすること自体が、そのまま自分の得であるという捉え方です。得が「返ってくる」のではありません。往復がないのです。

自利利他円満とは

たとえば、顧客が抱えている大きな問題を、自社の商品やサービスで解決したとします。顧客は大きな喜びを得る。その顧客の喜びそのものが、自分にとっての喜びでもある——この心の持ちようを指しています。

このとき、自分と他者は分離していません。喜びを共有している状態です。これを自利利他円満といいます。自分が幸せになることが他人の幸せにつながり、他人の幸せが自分の幸せになる。

飯塚毅氏の定義

会計事務所向けのシステムで知られるTKCは、この言葉を理念に掲げてきたことで有名です。創業者の飯塚毅氏は、こう定義しています。

「自利とは利他をいう」とは、「利他」のまっただ中で「自利」を覚知すること、すなわち「自利即利他」の意味である。他の説のごとく「自利と、利他と」といった並列の関係ではない。(TKC全国会)

並列ではない、と言い切っているところが要点です。自利と利他を足し算するのではなく、利他の只中で自利に気づく。先ほどの「往復がない」を、より厳密に言い直したのがこの一文です。

儒家にも同じ形がある — 己立たんと欲して人を立つ

仏教の言葉ですが、同じ構えは儒家にもあります。孔子が「仁」を説明した一節です。

子貢曰:「如有博施於民,而能濟眾,何如?可謂仁乎?」子曰:「何事於仁,必也聖乎?堯舜其猶病諸!夫仁者,己欲立而立人,己欲達而達人。能近取譬,可謂仁之方也已。」

書き下し: 子貢曰く、「如し博く民に施して能く衆を済うこと有らば、何如。仁と謂う可きか。」子曰く、「何ぞ仁を事とせん、必ずや聖か。堯舜も其れ猶お諸を病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取る、仁の方と謂う可きのみ。」

▶ この章句の全文と解説を読む

己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。自分が立ちたいと思うなら人を立たせ、自分が届きたいと思うなら人を届かせる。

ここでも、自分の願いと他人への働きかけが切り離されていません。自分の願いを消して他人に尽くせ、とは言っていない。むしろ自分が何を欲しているかを起点にして、それを人に向けるという順序です。「能く近く譬を取る」——身近な自分に引き比べて考えること、それが仁を実践する方法だ、と孔子は締めています。

自利を消せば利他になる、のではありません。この点で、仏教の自利利他と論語の仁は同じ形をしています。

なお、裏返しの言い方もあります。

子貢問曰:「有一言而可以終身行之者乎?」子曰:「其恕乎!己所不欲,勿施於人。」

自分がされたくないことを人にするな。生涯行い続けられる一語として孔子が挙げたのが、この「恕(じょ)」でした(/rongo/9042)。

利他には限界がある — 歎異抄の警告

自利利他を掲げるとき、あわせて読んでおきたい一節があります。親鸞の言葉を伝える『歎異抄』第四条です。

慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものを憐れみ愛しみ育むなり。しかれども、思うがごとく助け遂ぐること、極めてありがたし。(中略)今生に、いかにいとおし不便と思うとも、存知のごとく助け難ければ、この慈悲始終なし。

▶ この章句の全文と解説を読む

ものを憐れみ、いとおしみ、育てる。それは確かに慈悲だが、思ったとおりに最後まで助け遂げることは、きわめて難しい。どれほど気の毒だと思っても、思うようには助けきれない。だからこの慈悲は「始終なし」——最後まで貫徹しない。

親鸞の結論は念仏に向かいますが、その手前にある観察は、宗派を離れても効きます。助けてあげるつもりの利他は、たいてい途中で終わる。それは相手の問題であるより、こちら側の力の限界の問題です。

利他を掲げる人ほど、この限界を先に見ておいたほうがよいでしょう。見ておかないと、助けきれなかったときに相手を責めるか、自分を責めるかのどちらかになります。自利利他が「円満」であるためには、続けられる形になっている必要があります。

経営者たちの自利利他

稲盛和夫 — 利己の心と利他の心

稲盛和夫氏は、日本を代表する経営者であると同時に、仏教の修行を重ねた人でもありました。京セラフィロソフィーには、こうあります。

私たちの心には「自分だけがよければいい」と考える利己の心と、「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」とする利他の心があります。利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、誰の協力も得られません。自分中心ですから視野も狭くなり、間違った判断をしてしまいます。

一方、利他の心で判断すると「人によかれ」という心ですから、まわりの人みんなが協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。

より良い仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、まわりの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断をすべきです。

注目したいのは、稲盛氏が利他を判断の精度の問題として語っている点です。人格の話ではなく、視野の話をしている。利己で判断すると視野が狭くなり、間違える。人間はもともと損得で判断するようにできている。だからこそ、判断するときに一度立ち止まって、それが相手にとってどうなのかを考えてみる——そういう手順の話です。

マイケル・E・ガーバー — 他者の夢から始める

「自利利他」という言葉こそ使っていませんが、ほぼ同じことを別の経路で言い当てた人もいます。『はじめの一歩を踏み出そう』の著者マイケル・E・ガーバー氏は、起業家が目覚めるのは「インパーソナルドリーム」によってだと言います。他人のための夢、という意味です。対義語は「パーソナルドリーム」=自分のための夢。

価値ある会社は明確で説得力のある「夢(ドリーム)」無しにはスタートできない。(中略)ここで言っている夢とは、億万長者になったり、プライベートジェットを買ったり、自分の島を買ったり、異国の地を旅したり、と言ったこととは関係がない。これらは魅力的に見えるかも知れないが、私たちが追求しようとしていることに燃料を与えるものではない。むしろ、それは私たちの心をかき乱すものである。

ここでいう真の起業家の「夢」とは個人的(パーソナル・ドリーム)なものではない。それは他人のためのもの(イン・パーソナル・ドリーム)である。夢を見る本人のためのものではなく、顧客のためのものである。

私はこれまで偉大な創造者や起業家たちを見てきて、彼らには他の人とは大きな違いがあることを知った。彼ら、偉大な人たちはインパーソナル・ドリームを創造することに楽しみを見出していることを知った。

(中略)これらの夢の全ては、「パーソナルドリーム(個人的な夢)」である。(中略)しかし、そのような夢は、行動に変わったときでも、ほとんど望んだ結果が出る事はない。それらは目標になるかも知れない。しかし成し遂げたとしても、目標自体が疑わしい物である。それらのパーソナルドリームをいくら熱心に追いかけても、結局は以前と何も変わらないことに気が付く。

起業家の夢は、あなたのための夢ではなく、私のための夢でもない。顧客のための夢である。その夢を発見したとき、あなたがこれまでに見たことのない、突然、視界に可能性が開ける創造的な行為となる。

つまり、自分の個人的な夢だけで経営をしても続かない。顧客のための夢を見つけ、それを追いかけることが、顧客にとっても自分にとっても喜びになる——結論は、飯塚氏の「利他のまっただ中で自利を覚知する」とほとんど同じ場所に着いています。

ビジネスで実践するには

まず、誰に貢献したいのかを決める

「利他」と言うとき、その「他」とは誰なのかを決めるところから始まります。世の中の万人に貢献することはできません。全ての人に全てを提供しようとすれば、焦点がぼやけて資源が分散するだけです。事業は明確な顧客像から始まります。

短期の利他と、長期の利他

次に、その顧客の夢=利他とは何かを考えます。二つの視点があります。

短期的な利他は、顧客が自分で認識している夢です。腰痛を治したい、痩せたい、売上を上げたい、コストを下げたい。口に出して言えることです。

長期的な利他は、顧客がまだ気づいていない夢です。腰痛を治したいという患者さんがいたとき、腰痛を治すのは短期の夢の実現にすぎません。その先で、その人が何をしたいのか、どういう人生を送りたいのか。口には出さないが頭の中でぼんやり描いている——それがインパーソナルドリームにあたります。これを提示し、実現できると相手が確信したとき、売り込みはもう終わっています。

自利利他円満になる点を見つける

すべての利他がそのまま自利になる境地に至れれば理想ですが、普通はそうもいきません。そこで、思い描いた利他のうち、自分にとっても本当に喜びとなるのはどれかを探します。

たとえば経営支援の仕事をしていると、売上が上がった、コストが下がった、離職率が下がったという成果を報告されることがあります。それはそれで結構なのですが、実のところ、さして嬉しくない。それより「おかげさまで人生が変わりました」と言われるほうが嬉しい。会社が変わった結果、経営者自身の人生が変わることこそが、こちらにとっての喜びなのです。利他と自利が一致した状態と言えるかもしれません。

だから提案も、売上やコストをうたう形にはなりません。経営者の人生に選択肢を増やすこと——それが本当にやりたいことであり、自利利他円満につながる点だからです。

顧客がどうなることが、あなたにとっての喜びなのか。ここを一つ見つけておけば、自利利他は理念ではなく判断の基準として働きはじめます。

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