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都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段

呼吸存スル間ハ、心ヲ以テ性ヲ養フヲ、我任トスルコトナリ、少シニテモ仁愛ヲ行ヒ、義ニ合ヘバ安樂ナリ、我心ノ安樂ニナルヨリ外ニ、敎ノ道アランヤ、我心ニ不得コトヲ、僞リヲ以テ得タル顏ツキシタリトモ、ソレハ僞リナリト、受ツケヌ心有ユヘニ苦ムナリ、是前ニ汝ガ云ヘル古歌ノ如、「イツハリモヒトニハイヒテヤミナマシコヽロノトハヾイカヾコタヘン」ト云所ナリ、孔子曰、君子不憂不懼、又曰、內省不疚、夫何憂何懼ト、我云所他ニハアラズ、平日不憂不懼、內ニ省テ不疾、心靜々トシテ安樂ナラバ、コレニ勝ルコトアランヤ、

新字:呼吸存スル間ハ、心ヲ以テ性ヲ養フヲ、我任トスルコトナリ、少シニテモ仁愛ヲ行ヒ、義ニ合ヘバ安楽ナリ、我心ノ安楽ニナルヨリ外ニ、教ノ道アランヤ、我心ニ不得コトヲ、偽リヲ以テ得タル顔ツキシタリトモ、ソレハ偽リナリト、受ツケヌ心有ユヘニ苦ムナリ、是前ニ汝ガ云ヘル古歌ノ如、「イツハリモヒトニハイヒテヤミナマシコヽロノトハヾイカヾコタヘン」ト云所ナリ、孔子曰、君子不憂不懼、又曰、内省不疚、夫何憂何懼ト、我云所他ニハアラズ、平日不憂不懼、内ニ省テ不疾、心静々トシテ安楽ナラバ、コレニ勝ルコトアランヤ、

書き下し

呼吸存する間は、心を以て性を養ふを、我が任とすることなり。少しにても仁愛を行ひ、義に合へば安楽なり。我が心の安楽になるより外に、教への道あらんや。我が心に得ざることを、偽りを以て得たる顔つきしたりとも、それは偽りなりと、受けつけぬ心有るゆゑに苦しむなり。是れ前に汝が云へる古歌の如く、「いつはりもひとにはいひてやみなましこころのとはばいかがこたへん」と云ふ所なり。孔子曰く、君子は憂へず懼れず。又曰く、内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂へ何をか懼れんと。我が云ふ所他にはあらず。平日憂へず懼れず、内に省みて疾しからず、心静々として安楽ならば、これに勝ることあらんや。

現代語訳

息をしているあいだは、心によって本性を養うことを自分の務めとします。少しでも思いやりを行い、義にかなえば安らかです。自分の心が安らかになること以外に、教えの道があるでしょうか。心で納得していないことを、うわべだけ分かった顔をしても、それは偽りだと受けつけない心があるので苦しむのです。これは先にあなたが引いた古歌、「偽りも人には言って済ませられようが、自分の心に問われたら何と答えよう」というところです。孔子は「君子は憂えず恐れない」と言い、また「内に省みてやましいところがなければ、何を憂え、何を恐れようか」と言いました。私の言うことはこれ以外にありません。ふだん憂えず恐れず、内に省みてやましくなく、心が静かで安らかであれば、これに勝るものがあるでしょうか。

解説

梅岩の学問の目標が「心の安楽」であることを、はっきり言い切った段です。分かったふりは人をごまかせても自分の心はごまかせない、という古歌を問う人自身が先に引いていたのを受けて、論語顔淵篇の「君子は憂えず懼れず」「内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん」につなげます。安楽とは気楽さではなく、良心に照らしてやましさがない状態です。数字を取り繕った報告や、分かったふりの会議がなぜ人を消耗させるのか。その理由を三百年前に言い当てている一節として読めます。

この章句が説くこと

安楽良心偽り論語内省

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