都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
曰、其大ナル誤リ出ル所ヲ、聞コトヲ得ラルベキヤ、答、然ラバ天地ノ道ヲ以テイフベシ、今此ニ田地二反アラン、百姓ノ力ヲ用ユルコト同ク、糞等モ同ク、其植ル所ノ苗モ同ク、ウユル時モ同ジ、然ルニ一反ニハ米三石アリ、一反ニハ、一石五斗有時ハ、纔ニ一反ノ中ニテ、米一石五斗違アラバ、其田ニ惡心アリトイハンヤ、又三石アル田ヲ、善心アリトイハンヤ、
新字:曰、其大ナル誤リ出ル所ヲ、聞コトヲ得ラルベキヤ、答、然ラバ天地ノ道ヲ以テイフベシ、今此ニ田地二反アラン、百姓ノ力ヲ用ユルコト同ク、糞等モ同ク、其植ル所ノ苗モ同ク、ウユル時モ同ジ、然ルニ一反ニハ米三石アリ、一反ニハ、一石五斗有時ハ、纔ニ一反ノ中ニテ、米一石五斗違アラバ、其田ニ悪心アリトイハンヤ、又三石アル田ヲ、善心アリトイハンヤ、
書き下し
曰く、其大なる誤り出る所を、聞ことを得らるべきや。答、然らば天地の道を以ていふべし。今此に田地二反あらん。百姓の力を用ゆること同く、糞等も同く、其植る所の苗も同く、うゆる時も同じ。然るに一反には米三石あり、一反には、一石五斗有時は、纔に一反の中にて、米一石五斗違あらば、其田に悪心ありといはんや。又三石ある田を、善心ありといはんや。
現代語訳
問う人「その大きな誤りが出てくるところを、聞かせていただけますか。」答え。「それなら天地の道で言いましょう。いまここに二反の田があるとします。百姓の力の入れ方も同じ、肥料も同じ、植える苗も同じ、植える時期も同じです。それなのに一反からは米が三石とれ、もう一反からは一石五斗しかとれないとき、わずか一反の違いで一石五斗の差が出たからといって、その田に悪い心があると言いますか。また三石とれた田に善い心があると言いますか。」
解説
ここから有名な田んぼのたとえが始まります。一反は約十アール、一石は大人一人が一年に食べる米の量とされる単位です。同じ手入れをしても収量が倍も違う田がある。だからといって、田に悪心があるとは誰も言わない。梅岩は、人の出来の差を心の善し悪しで説明する発想を、田の比喩で揺さぶります。丹波の農家に生まれた梅岩らしい、聞き手の暮らしにそのまま届く例え方です。成果の差を、すぐに個人の心がけの問題にしていないかを問い直させます。
この章句が説くこと
田地収量善悪たとえ農
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